NHK朝ドラ「虎に翼」は戦争に突入しましたが仲野太賀さん演じる寅子の旦那さんの佐田優三【さだ・ゆうぞう】が戦争に行くのか?戦死するのか?気になると思います。「虎に翼」で優三さんは戦死するのか?ネタバレと実在モデルは死亡したのか?史実もご紹介します。
【虎に翼】佐田優三は戦死するのかネタバレは?
ついに家族のように過ごしてきた優三さんと結婚した寅子。しかし・・・結婚の目的が実はずっと寅子のことが好きだったことがわかり、困惑する寅子(^^;
以下の記事では、寅子と優三の結婚は実話なのか?ご紹介しています。
【虎に翼】寅子と優三の結婚の理由・社会的地位は実話?モデルはどうだった?
しかし優三さんは非常に良い人なので、戦死なんてしてほしくないですよね。しかし戦争時代がやってきます。
優三さんは出征するのか?戦争に行ってしまうのか?戦死するのか?以降でドラマのネタバレをご紹介します。
ネタバレですので、知りたくない方はご注意ください!
🐯 #トラつばプレイバック 🪽
穂高に結婚の報告をする、寅子と優三。
自分が望んだものはすべて手に入ったものの…
よねから言われたことや、優三からの「ずっと好きだった」が、脳裏から離れません。#朝ドラ #虎に翼#伊藤沙莉 #仲野太賀 #小林薫https://t.co/4Zl9bGvv4u pic.twitter.com/qvT1SXoEeC— 朝ドラ「虎に翼」公式 (@asadora_nhk) May 19, 2024
兄の直道が出征!
穂高(小林薫)に結婚を報告した寅子(伊藤沙莉)と優三(仲野太賀)。優三は本当に嬉しそうでしたね。
1942年に寅子が妊娠し、猪爪家は幸せに包まれます・・・が、そんなとき寅子の兄、直道(上川周作)に赤紙が届きました。
直道は長男の直人と、次男の直治に「お母さんを頼んだよ」と伝え、出征していきます。
さらに戦局が厳しさを増してきた1943年、寅子は優三と、生まれた娘の優未とで戦争を乗り越えることを最優先にすると決めます。
ところが、そんなときに優三にも赤紙が・・・。
優三さんも出征!戦争に行ってしまう((+_+))
出征する前、寅子は優三に謝りました。
「私のワガママで結婚させてしまって、普通の結婚生活ができなくて。あと高等試験を諦めず、続けてくださいと説得しなくてごめんなさい。あと・・・」
そんな寅子に優三はこう語りかけます。
「トラちゃんが僕にできることは謝ることじゃないよ。トラちゃんができるのは、トラちゃんの好きに生きることです」
「心から人生をやりきってくれれば、それでいい」と優三は優しく微笑みます。
それから数日後、寅子が作ったお守りを持って、優三は出征していきました。
1945年3月、東京大空襲により、東京には甚大な被害が出ます。
寅子は娘の優未と、花江(森田望智)とその子供たちとで、疎開をしていたため無事でした。
次々と家族が死亡!優三さんは戦地から戻らないまま月日が流れる
ですがこの空襲で花江の両親が死亡。
さらに7月には直道の戦死の知らせが届きます。
優三さんも心配だったのですが、なんとあの陽気な兄が戦死してしまうなんて・・・悲しすぎる展開です。
兄の実在モデルについては、以下の記事でご紹介しています。
虎に翼猪爪寅子の兄・直道のモデルの死因は戦死?三淵嘉子の弟の武藤一郎
ようやく終戦となりましたが、軍需により好調だった直言(岡部たかし)の工場は廃業状態となり、直言も体を壊していました。
猪爪家は着物などを売り、なんとか飢えをしのぐ暮らしをしています。
寄宿舎生活をしていた寅子の弟、直明(三山凌輝)が戻ってきて、大学を諦め家族のために働くと言います。
みんなで力を合わせますが、暮らしはよくなりません。
優三も戻らないまま月日は流れ、終戦から1年が過ぎたころ、直言が倒れてしまいます。
そして寅子は衝撃の事実を知ることになります。
優三の戦死を知る寅子!
そのとき偶然寅子は、直言が写真立ての裏に隠していた、優三の戦死を知らせる死亡告知書を見つけます。
直言は寝込んだままで、どんどん衰弱していきます。
ある日直言に寝室に呼ばれた寅子は、優三の死を隠していたことを謝罪されました。
優三君の死により、寅子に倒れられたら、猪爪家は終わってしまうと思い、優三君の戦死を言えなかった
そう言って号泣する直言。
許しきれないままでしたが、寅子は直言の手を握り返します。
その数日後、直言は静かに息を引き取りました。
ある日、優三と同じ収容所の病室で隣だった、という男性が寅子が優三に渡したお守りを届けにやって来ます。
男性は優三の最期を知る人物でした。
優三の死と向き合わざるをえなくなった寅子。優三が言った「トラちゃんができるのは、トラちゃんが好きにいきることです」を思い出し号泣。
寅子は新しい憲法に希望を見出し、法律の世界で自分の力で稼ぐことを宣言しました。
あすから第8週!
次週予告を見れば、月曜からの放送をより楽しめる📺✨https://t.co/CROszgg7cL
— 朝ドラ「虎に翼」公式 (@asadora_nhk) May 19, 2024
以上が現在わかっているネタバレです。
直道と優三は戦死してしまいました。終戦から1年後、直言も亡くなってしまいます。
カンタンな時系列がこちら。
◆1940年 寅子と優三が結婚
◆1942年 二人の娘が誕生
◆1942年 直道出征
◆1943年~1944年? 優三出征
◆1945年 終戦
◆1945年 直道戦死の知らせ
◆1946年 優三の死を寅子が知る
◆1946年 直言死亡
では史実はどうだったのでしょうか!
優三さんのモデル和田芳夫は戦争で死亡した?
佐田優三とは?
🐯 #トラつば人物紹介 🪽
佐田優三 ✎ #仲野太賀
猪爪家に下宿している書生。早くに両親を亡くし、弁護士だった父に憧れて大学に通うが、高等試験(現在の司法試験)にはなかなか合格できない。
昼は銀行で働き、夜は大学で勉学に励む。#朝ドラ #トラつば #4月1日スタート pic.twitter.com/eUlP9cYGGk— 朝ドラ「虎に翼」公式 (@asadora_nhk) March 6, 2024
佐田 優三(さだ ゆうぞう):仲野太賀
猪爪家に下宿している書生。早くに両親を亡くし、弁護士だった父に憧れて大学に通うが、高等試験(現在の司法試験)にはなかなか合格できない。
昼は銀行で働き、夜は大学で勉学に励む。
引用元 NHK
佐田優三は書生として、猪爪家に下宿しています。大人しくて優しい性格なので、家族のみんなから愛されています。
父親と同じ弁護士になるため、昼は働きながら明律大学夜間で勉強をしていました。
寅子と一緒に高等試験の筆記試験に合格しましたが、緊張するとお腹を壊す体質で、口述試験では寅子は合格するも優三は不合格に。
いわゆる本番に弱いタイプですね(;^^)
これを機に弁護士になるのを諦め、直言が社長の「登戸火工」で、住み込みで働くことになり、猪爪家を出ました。
ですが優三はずっと寅子のことが好きで、寅子がお見合い相手を探していると聞き、当たって砕けろとプロポーズします。
猪爪家からも歓迎され、ふたりは結婚しました。
🐯 #トラつばオフショット 🪽
晴れて猪爪寅子、改め“佐田寅子”となりました💐
お祝いの場でのオフショット📷✨
🔻今日の放送を見る👀https://t.co/qOv66w3kOp#虎に翼#伊藤沙莉 #石田ゆり子 #岡部たかし #上川周作 #森田望智#小林未来 #山田忠輝 #二ノ宮陸登 #仲野太賀 pic.twitter.com/rAK1Wa4KFx
— 朝ドラ「虎に翼」公式 (@asadora_nhk) May 17, 2024
佐田優三のモデルは和田芳夫
朝ドラ「虎に翼」ヒロイン寅子(伊藤沙莉)のモデルは、日本で初の女性裁判所長になられた三淵嘉子(旧姓武藤)さん。
嘉子さんは2度ご結婚されていて、最初のお相手が、実家に書生として出入りしていた和田芳夫さん。優三のモデルです。
嘉子さんのご両親は丸亀出身で、丸亀出身の青年たちを、書生として面倒をみていました。
和田芳夫さんもそのひとりで、嘉子さんの父親、武藤貞雄さんの親友の親戚という間柄。
優三と同じように、おとなしくて優しい人物。武藤家からも好かれていたといいます。
当時女性の適齢期は23歳といわれていて、嘉子さんは27歳を過ぎても独身でした。当時でいう行き遅れですね(;^^)
嘉子さんが和田芳夫さんとご結婚されたのは、1941年で28歳のときでした。
結婚のいきさつについては、詳しいことはわかっていませんが、ステラネットによると嘉子さんが和田芳夫さんをご指名したそうです(≧∇≦)
嘉子さんの弟、輝彦さんのお話では、和田芳夫さんは嘉子さんの周りにいた男性のなかで、最も性格が良く優しい人物だったとのこと。
嘉子さんの父親が関係していた会社で働きながら、明治大学夜間部に通う努力家でもあったそうです。
なかなか結婚しない嘉子さんに、父親が「気になる人はいるか?」と聞いたところ、嘉子さんは和田さんをご指名した、とのこと。
引用元 ステラネット
優三の人柄はドラマと同じですが、ドラマと違ったのは、アプローチしたのは嘉子さんの方だった、という点ですね(≧∇≦)
きっと和田さんも、書生という立場もあり、おとなしくて優しい性格から、嘉子さんに積極的にはなれなかったのではないでしょうか。
おふたりの結婚から2年後、長男が誕生しています。ドラマでは女の子が生まれるので、ここは違いますね。
おふたりは結婚後、実家を出て池袋のアパートで新婚生活を始めました。
幸せな結婚生活を送られていたことと思います。
和田芳夫も戦死していた
和田芳夫さんは肋膜炎(現在は胸膜炎と呼ばれている)の病歴があり、徴兵を免れていました。
肺の表面を覆う“胸膜”に炎症が生じる病気で、胸の痛みや呼吸困難といった症状が出て、重症になると心臓が圧迫されてしまうようです。
原因のひとつに結核菌感染があり、結核菌感染に関連する病歴があると、徴兵されることはなかったといいます。
ですが戦争が激化し、中高年なども根こそぎ招集されるようになります。
和田芳夫さんは1944年6月に召集令状が届きましたが、肋膜炎の病歴により帰宅となりました。
同じ1944年6月に、嘉子さんの弟、武藤一郎さんにも召集令状が届き、その年に乗っていた輸送船が魚雷により沈没し、戦死してしまいます。
1945年1月、また和田芳夫さんに召集令状が届きました。
今回は招集解除にはならず、戦場へ行くための教練を受けることになります。
和田芳夫さんが召集された2か月後、東京大空襲となり10万人を超す死者が出ました。
嘉子さんは疎開していたため、難を逃れています。
和田芳夫さんは中国に行き、そこで病状が悪化。戦場に出ることもなく、病院で療養する生活を送ります。
1945年終戦となり、翌年に和田芳夫さんが上海から引き揚げますが、船のなかでまた病状が悪化し、到着した長崎の病院で亡くなってしまいます。
【虎に翼】寅子の兄直道は戦死する?ネタバレと史実は?
猪爪直道とは
/
いつも的外れな直道の推測がついに当たった!?
\と、話題の「俺には分かる」😏✨
集めてみました!
第1週から第5週までの放送をまとめた、
「まだ間に合う虎に翼」見逃し配信中!
👇NHKプラスで見る!https://t.co/ZQChY1Nfit#朝ドラ #虎に翼#上川周作 pic.twitter.com/QCLTDvLBrt— 朝ドラ「虎に翼」公式 (@asadora_nhk) May 4, 2024
猪爪 直道(いのつめ なおみち):上川周作
寅子の兄
人が良く、妹思いの兄。寅子の親友・花江に一目ぼれし、婚約をしている。妹の結婚を心配しているが、好きなことをして欲しいとも思っている。
引用元 NHK
「俺にはわかるよ」が口癖ですが、いつもちょっと的外れな直道(;^^)
ドラマでは愛されキャラの直道ですが、モデルの一郎さんはもう少し厳格な人物だったようです。
猪爪直道のモデルは武藤一郎
直道はヒロインの兄ですが、一郎さんは長男ではありますが、嘉子さんの弟にあたり、2歳年下です。
その下に3人の弟たちがいて、そのまとめ役であり躾役。嘉子さんの次に優秀で、嘉子さんも一目置く存在だったそうです。
横浜高等商業学校卒業後、日立製作所に就職し、その後出征しました。
武藤一郎も戦死していた
武藤一郎さんは1944年6月に出征し、その月に乗船していた富山丸が、米軍の魚雷により沈没し、戦死しています。
富山丸を含めた12隻の輸送船は、鹿児島湾を出港し、沖縄に向かっていました。
このとき米軍の魚雷により沈没し、3500人以上もの戦死者が出ています。
出征して1ヶ月も立たずに戦死・・・。このとき一郎さんの奥様は妊娠中でした。享年28歳です。
年表
カンタンな年表がこちら
1941年 和田芳夫さんと嘉子さんがご結婚
1943年 おふたりの長男が誕生
1944年 6月に兄の武藤一郎さんと和田芳夫さんに召集令状がくる
1944年 一郎さんが6月に船の沈没で戦死
1945年 1月に和田芳夫さんが出生
1945年 8月終戦
1946年 和田芳夫さんが長崎の陸軍病院で戦病死
1947年 父親の武藤貞雄さんが肝硬変で死亡
1947年 母親の武藤ノブさんが脳溢血で死亡
ドラマがこちらになります。
1940年 寅子と優三が結婚
1942年 二人の娘が誕生
1942年 直道出征
1943年~1944年? 優三出征
1945年 終戦
1945年 直道戦死の知らせ
1946年 優三の死を寅子が知る
1946年 直言死亡
1949年 はる死亡
多少年代の違いがありますが、ほぼ史実通りにドラマは描かれていました。
ということで朝ドラ「虎の翼」は史実と同じように、佐田優三も猪爪直道も戦死してしまいます。
その後父親の直言、さらに母親のはるもこの世を去ることになります。
以下の記事にも戦争の悲しすぎるネタバレの詳細はまとめてあります。l
朝ドラ【虎に翼】戦争ネタバレ!戦死者・死亡するキャストまとめ
まとめ
【虎に翼】雲野法律事務所メンバーキャストの弁護士・岩居役や職員などまとめ
NHK連続テレビ小説「虎に翼」ヒロイン寅子と結婚した佐田優三ですが、長女が生まれたあと出征し、終戦から1年後に寅子は優三の死を知ることになります。
先に出征していた兄の直道も、終戦後に戦死の知らせが届いています。
これらはほぼ史実通りでした。
優三のモデル、和田芳夫さんも出征し、終戦後日本に戻る船で病状が悪化。
着いた長崎の病院でそのまま帰宅することなく、お亡くなりになりました。
直道のモデルで武藤家の長男、嘉子さんの弟になる武藤一郎さんも、乗っていた船が魚雷により沈没し戦死しています。
おふたりとも終戦間際に戦死されいて、本当に残念ですね。
ということで優三と直道の戦死は、年代的には若干違いがありますが、ほぼ史実通りでした。
コメント