NHK朝ドラ「虎に翼」の猪爪寅子【いのつめとらこ】の第一子は娘の佐田優未【さだゆみ】ですが実在モデルとは?「虎に翼」の佐田優未のモデルは三淵嘉子【みぶちよしこ】さんの子供・娘さんなのか?ご紹介します。
虎に翼 寅子の娘・佐田優未【ゆみ】が誕生のネタバレ!
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ただでさえ多忙を極める寅子の元に、母校の明律大から講演会の依頼が…。
穂高からの直々の指名ということもあり、引き受けざるを得ない寅子。
しかし、講演会の前に倒れてしまい…。#朝ドラ #虎に翼#伊藤沙莉 #松山ケンイチ pic.twitter.com/DRWngh4bep
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NHK連続テレビ小説「虎に翼」第8週。
ヒロイン寅子(伊藤沙莉)の妊娠で、猪爪家は幸せオーラに包まれましたが、寅子は激務もあり体調を崩し、倒れてしまいましたね。
そんな第8週の詳しいネタバレはこちらです↓
虎に翼8週ネタバレあらすじ!寅子の妊娠出産と戦争に行ってしまう家族たち
そんな第8週で描かれる、寅子の出産のネタバレをします!
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ついに思いを通じ合わせた寅子と優三💘
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辞表を提出する寅子
寅子(伊藤沙莉)が昼食から戻ると、雲野(塚地武雅)法律事務所に穂高(小林薫)が来ていました。
穂高は先日の態度を詫びながらも、休むことを勧めます。
「弁護士資格があるから、いつでも仕事に復帰できる」
そう言う穂高に、笑顔でうなずく雲野たち。雲野も子育てに専念するときだと、寅子を諭します。
よね(土居志央梨)の姿を追って、カフェー「燈台」にやって来た寅子。
おはようございます🌞
第8週の放送開始まで、あと1時間⏰
寅子と優三の結婚生活がスタート!
しかし間もなく、アメリカやイギリスとの戦争が始まり……。#NHKプラス📱ではリアルタイムで見ることができます!https://t.co/YiCIa8A7TE📢 \#虎に翼/🐯🪽
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「燈台」は戦争により規制が厳しく、カフェーの営業ができないため、軍歌のレコードをかけて細々と営業をしていました。
妊娠を黙っていたことをよねに詫びた寅子でしたが、よねは背を向け突き放します。
自分が働き続けることを、望まれていないと感じた寅子は、事務所に辞表を提出します。
娘の佐田優未【ゆみ】を出産
猪爪家は軍の立ち退き命令により、登戸にある直言(岡部たかし)の会社の工場の寮に引っ越しさせられます。
1943年12月、寅子は娘を出産。優未(ゆみ)と名付けました。
戦局も厳しくなり、訪ねてきた後輩の小泉(福室莉音)から、女子部が閉鎖されると聞かされた寅子。
その年は高等試験も中止となり、女性法曹の道は途絶えてしまいました。
寅子は優三(仲野太賀)と優未と、戦争を乗り越えることを、最優先にしようと心に決めます。
・・・が、そんなとき優三に赤紙が届きました。
娘の優未の出産については、原作ではあまり詳しく描かれていませんでした。
その後寅子と花江(森田望智)は、子どもたちと疎開し、終戦後登戸に戻り、みんなで一緒に暮らすことになります。
出征していった直道(上川周作)と優三は戦死してしまいます。
寅子と花江は、女手一つで子どもたちを育てていくことになります。
ということで、寅子は女の子、優未を1943年12月に出産します。さて、優未のモデルは実在するのでしょうか?
佐田優未のモデルは三淵嘉子の娘【子供】?息子?
朝ドラ「虎に翼」ヒロイン猪爪寅子のモデルは、日本で初の弁護士になられた三淵嘉子さんです。
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2024年春のNHK連続テレビ小説『虎に翼』のヒロインのモデルは、日本初の女性裁判官・三淵嘉子(1914?84)。家庭裁判所判事として、社会の矛盾や不平等と闘った、その果敢な生涯をたどる。 pic.twitter.com/fPD8xkJyjm— 堀川新文化ビルヂング (@horikawa1120) March 30, 2024
三淵嘉子さんのご家族の詳しい情報はこちらです↓
三淵嘉子の夫や息子や子供の家族まとめ!母親と父親と兄についても
三淵嘉子さんが生んだのは男の子でした。
三淵嘉子さんは2度ご結婚されていて、生涯でお産みになったのは、最初の夫、和田芳夫さんとの間にできた男の子、和田芳武さんおひとりです。
和田芳夫と結婚
和田芳夫さんをモデルにしたのが優三です。和田芳夫さんも優三と同じく、嘉子さんの実家、武藤家で書生として出入りしていた青年。
当時武藤家では、嘉子さんの父親、武藤貞雄さんと、母親のノブさんの故郷、丸亀から出てきた青年たちを、書生として面倒を見ていました。
和田芳夫さんもそのおひとりで、長く武藤家で暮らしていたそうです。
貞雄さんの親友の親戚で、仕事をしながら明治大学に通っていた、真面目な好青年で、武藤家からも好かれていたといいます。
おとなしくて優しい性格だったそうで、優三そのままの人物だったのかもしれませんね。
嘉子が見初めた
和田芳夫さんは大学卒業後、東洋モスリンという会社に就職。武藤家を出ています。
弁護士になった嘉子さんは、当時の女性の適齢期、23歳を過ぎ、27歳になっていました。
父親が心配し、好きな人はいないのか聞いたところ、和田芳夫さんと答えたといいます。
おふたりは交際していたわけでもなく、ご両親も驚かれたそうです。
明るく活発な嘉子さんと、対照的に大人しくて静かな和田芳夫さん。
東洋モリスンにいたとき、肺を悪くして1年くらい療養していた時期があったといいます。
父親が和田芳夫さんに「娘があなたを気に入っている」と頼み、ふたりの交際がスタートしました。
優しいけど芯が通っていたという和田芳夫さん。決して嘉子さんの尻に敷かれていたわけではなかったそうです。
結婚後は池袋に家を借り、共働きをしていました。
長男の芳武が誕生
1943年に長男の芳武さんが誕生し、和田家は武藤家に引っ越してきました。
初孫でご両親も喜ぶだろうし、嘉子さんも初めての子育てで、実家だと何かと安心だろう・・・という和田芳夫さんの好意だったのかもしれませんね。
正確にはわかりませんが、恐らく和田芳夫さんが出生したのは1945年だったと思います。
1945年に嘉子さんは芳武さんと、長男の一郎さんの妻と、その娘の4人で福島に疎開します。
終戦となり、登戸に引っ越していた武藤家に戻った嘉子さんたち。
終戦から1年後に、和田芳夫さんの戦死が知らされました。
学生の弟たちや、一郎の家族、それにまだ幼い芳武さんを抱え、嘉子さんは自分がみんなの面倒をみる、と決意されたそうです。
和田芳武とは
和田芳武さんは1943年に生まれ、1945年に福島に疎開。終戦後登戸の嘉子さんの実家で暮らし始めます。
1946年、出征していた和田芳夫さんが戦死します。
和田芳武さんについて、詳しいことはわかりませんでした。
和田芳武さんが7歳のころ、嘉子さんはアメリカの家庭裁判所を学ぶため、渡米しています。
このとき一緒に住んでいた、弟夫婦が芳武さんの面倒をみたそうです。
1952年、芳武さんが9歳のころ、嘉子さんは名古屋に転勤となり、芳武さんと一緒に名古屋に移り住みました。
和田芳武さんが13歳の1956年、嘉子さんは東京地方裁判所に戻ることになり、このころに三淵乾太郎さんと再婚されます。
芳武さんには4人の兄姉ができました。
東京大学を卒業後、医科学研究所で、寄生虫について研究をされていた、という情報があります。
清水聡さんの著書「女性法曹のあけぼの」の取材に協力されたそうですが、本が出版された数年後の2020年にお亡くなりになりました。(WIKI情報)
まだ57歳くらいですね。お若いのに残念です。「虎に翼」をご覧になっていただきたかったです。
優未のモデルは和田芳武
「虎に翼」寅子と優三の娘、優未のモデルは、和田芳武さんだと思います。
性別は違いますが、最初の夫との子供であり、嘉子さんが生んだのは、芳武さんおひとりです。
42歳で再婚されるまでおひとりだったので、「虎に翼」寅子も同じように歩んでいくのではないでしょうか。
寅子のモデル三淵嘉子の子供は全部で何人?
三淵嘉子さんは2度結婚されています。最初が武藤家の書生だった和田芳夫さん。
再婚したのは嘉子さんが42歳のころで、お相手は同じ裁判官だった三淵乾太郎さんでした。
三淵嘉子さんの結婚相手の詳しい情報はこちらからどうぞ↓
再婚相手三淵乾太郎の連れ子は4人
1956年三淵嘉子さんは、同じ裁判官の三淵乾太郎さんと再婚されます。お互いに連れ子のある再婚同士。
乾太郎さんには4人の連れ子がいましたが、詳細はわかりませんでした。
三淵乾太郎の長女・那珂
再婚されたときは結婚していて、家を出ていたそうです。
嘉子さんとは電話でよくケンカをしていたとか(;^^)血のつながらない親子がケンカするって、きっと仲がよかったんでしょうね。
三淵乾太郎の次女・奈都
再婚当時21歳だったそうです。
三淵乾太郎の三女・麻都
再婚当時18歳だったそうです。
三淵乾太郎の長男・力
再婚当時14歳だったそうです。和田芳武さんと1歳違いですね。芳武さんはこのなかで、一番年下になります。
嘉子さんが育てたのは、実質当時14歳だった三淵力さんと、芳武さんだったのでしょう。
長女からは「猛女」と呼ばれていたという嘉子さん(;^^)どんな家庭を築かれたのか、ドラマで再現されるといいですね。
まとめ
【虎に翼】佐田優三は戦死する?モデルは戦争で死亡したかネタバレと史実も
NHK朝ドラ「虎に翼」ヒロイン寅子が娘を出産し、優未と名付けます。
この優未のモデルは、寅子のモデル、三淵嘉子さんの息子、和田芳武さんだと思います。
嘉子さんはのちに再婚され、お相手の連れ子4人の母親にもなりますが、実際に産んだのは芳武さんおひとりです。
優未が誕生したのは1943年12月。和田芳武さんは1943年に生まれているので、やはりモデルといっていいと思います!
和田芳武さんはのちに医科学研究所で、寄生虫について研究されていたそうですが、2020年、57歳のころにお亡くなりなったそうです。
和田芳武さんについても、再婚相手の連れ子、三淵那珂さん、奈都さん、麻都さん、力さんについても、詳細はわかりませんでした。
ということで佐田優未のモデルは、和田芳武さんだと思います!
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