虎に翼 佐田優未【ゆみ】のモデルは三淵嘉子の娘【子供】?

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NHK朝ドラ「虎に翼」の猪爪寅子【いのつめとらこ】の第一子は娘の佐田優未【さだゆみ】ですが実在モデルとは?「虎に翼」の佐田優未のモデルは三淵嘉子【みぶちよしこ】さんの子供・娘さんなのか?ご紹介します。

目次

虎に翼 寅子の娘・佐田優未【ゆみ】が誕生のネタバレ!

NHK連続テレビ小説「虎に翼」第8週。

ヒロイン寅子(伊藤沙莉)の妊娠で、猪爪家は幸せオーラに包まれましたが、寅子は激務もあり体調を崩し、倒れてしまいましたね。

そんな第8週の詳しいネタバレはこちらです↓

虎に翼8週ネタバレあらすじ!寅子の妊娠出産と戦争に行ってしまう家族たち

そんな第8週で描かれる、寅子の出産のネタバレをします!

辞表を提出する寅子

寅子(伊藤沙莉)が昼食から戻ると、雲野(塚地武雅)法律事務所に穂高(小林薫)が来ていました。

穂高は先日の態度を詫びながらも、休むことを勧めます。

「弁護士資格があるから、いつでも仕事に復帰できる」

そう言う穂高に、笑顔でうなずく雲野たち。雲野も子育てに専念するときだと、寅子を諭します。

よね(土居志央梨)の姿を追って、カフェー「燈台」にやって来た寅子。

「燈台」は戦争により規制が厳しく、カフェーの営業ができないため、軍歌のレコードをかけて細々と営業をしていました。

妊娠を黙っていたことをよねに詫びた寅子でしたが、よねは背を向け突き放します。

自分が働き続けることを、望まれていないと感じた寅子は、事務所に辞表を提出します。

娘の佐田優未【ゆみ】を出産

猪爪家は軍の立ち退き命令により、登戸にある直言(岡部たかし)の会社の工場の寮に引っ越しさせられます。

1943年12月、寅子は娘を出産。優未(ゆみ)と名付けました。

戦局も厳しくなり、訪ねてきた後輩の小泉(福室莉音)から、女子部が閉鎖されると聞かされた寅子。

その年は高等試験も中止となり、女性法曹の道は途絶えてしまいました。

寅子は優三(仲野太賀)と優未と、戦争を乗り越えることを、最優先にしようと心に決めます。

・・・が、そんなとき優三に赤紙が届きました。

娘の優未の出産については、原作ではあまり詳しく描かれていませんでした。

その後寅子と花江(森田望智)は、子どもたちと疎開し、終戦後登戸に戻り、みんなで一緒に暮らすことになります。

出征していった直道(上川周作)と優三は戦死してしまいます。

寅子と花江は、女手一つで子どもたちを育てていくことになります。

ということで、寅子は女の子、優未を1943年12月に出産します。さて、優未のモデルは実在するのでしょうか?

佐田優未のモデルは三淵嘉子の娘【子供】?息子?

朝ドラ「虎に翼」ヒロイン猪爪寅子のモデルは、日本で初の弁護士になられた三淵嘉子さんです。

三淵嘉子さんのご家族の詳しい情報はこちらです↓

三淵嘉子の夫や息子や子供の家族まとめ!母親と父親と兄についても

三淵嘉子さんが生んだのは男の子でした。

三淵嘉子さんは2度ご結婚されていて、生涯でお産みになったのは、最初の夫、和田芳夫さんとの間にできた男の子、和田芳武さんおひとりです。

和田芳夫と結婚

和田芳夫さんをモデルにしたのが優三です。和田芳夫さんも優三と同じく、嘉子さんの実家、武藤家で書生として出入りしていた青年。

当時武藤家では、嘉子さんの父親、武藤貞雄さんと、母親のノブさんの故郷、丸亀から出てきた青年たちを、書生として面倒を見ていました。

和田芳夫さんもそのおひとりで、長く武藤家で暮らしていたそうです。

貞雄さんの親友の親戚で、仕事をしながら明治大学に通っていた、真面目な好青年で、武藤家からも好かれていたといいます。

おとなしくて優しい性格だったそうで、優三そのままの人物だったのかもしれませんね。

嘉子が見初めた

和田芳夫さんは大学卒業後、東洋モスリンという会社に就職。武藤家を出ています。

弁護士になった嘉子さんは、当時の女性の適齢期、23歳を過ぎ、27歳になっていました。

父親が心配し、好きな人はいないのか聞いたところ、和田芳夫さんと答えたといいます。

おふたりは交際していたわけでもなく、ご両親も驚かれたそうです。

明るく活発な嘉子さんと、対照的に大人しくて静かな和田芳夫さん。

東洋モリスンにいたとき、肺を悪くして1年くらい療養していた時期があったといいます。

父親が和田芳夫さんに「娘があなたを気に入っている」と頼み、ふたりの交際がスタートしました。

優しいけど芯が通っていたという和田芳夫さん。決して嘉子さんの尻に敷かれていたわけではなかったそうです。

結婚後は池袋に家を借り、共働きをしていました。

長男の芳武が誕生

1943年に長男の芳武さんが誕生し、和田家は武藤家に引っ越してきました。

初孫でご両親も喜ぶだろうし、嘉子さんも初めての子育てで、実家だと何かと安心だろう・・・という和田芳夫さんの好意だったのかもしれませんね。

正確にはわかりませんが、恐らく和田芳夫さんが出生したのは1945年だったと思います。

1945年に嘉子さんは芳武さんと、長男の一郎さんの妻と、その娘の4人で福島に疎開します。

終戦となり、登戸に引っ越していた武藤家に戻った嘉子さんたち。

終戦から1年後に、和田芳夫さんの戦死が知らされました。

学生の弟たちや、一郎の家族、それにまだ幼い芳武さんを抱え、嘉子さんは自分がみんなの面倒をみる、と決意されたそうです。

和田芳武とは

和田芳武さんは1943年に生まれ、1945年に福島に疎開。終戦後登戸の嘉子さんの実家で暮らし始めます。

1946年、出征していた和田芳夫さんが戦死します。

和田芳武さんについて、詳しいことはわかりませんでした。

和田芳武さんが7歳のころ、嘉子さんはアメリカの家庭裁判所を学ぶため、渡米しています。

このとき一緒に住んでいた、弟夫婦が芳武さんの面倒をみたそうです。

1952年、芳武さんが9歳のころ、嘉子さんは名古屋に転勤となり、芳武さんと一緒に名古屋に移り住みました。

和田芳武さんが13歳の1956年、嘉子さんは東京地方裁判所に戻ることになり、このころに三淵乾太郎さんと再婚されます。

芳武さんには4人の兄姉ができました。

東京大学を卒業後、医科学研究所で、寄生虫について研究をされていた、という情報があります。

清水聡さんの著書「女性法曹のあけぼの」の取材に協力されたそうですが、本が出版された数年後の2020年にお亡くなりになりました。(WIKI情報)

まだ57歳くらいですね。お若いのに残念です。「虎に翼」をご覧になっていただきたかったです。

優未のモデルは和田芳武

「虎に翼」寅子と優三の娘、優未のモデルは、和田芳武さんだと思います。

性別は違いますが、最初の夫との子供であり、嘉子さんが生んだのは、芳武さんおひとりです。

42歳で再婚されるまでおひとりだったので、「虎に翼」寅子も同じように歩んでいくのではないでしょうか。

寅子のモデル三淵嘉子の子供は全部で何人?

三淵嘉子さんは2度結婚されています。最初が武藤家の書生だった和田芳夫さん。

再婚したのは嘉子さんが42歳のころで、お相手は同じ裁判官だった三淵乾太郎さんでした。

三淵嘉子さんの結婚相手の詳しい情報はこちらからどうぞ↓

【虎に翼】猪爪寅子のモデルは誰?三淵嘉子で結婚相手は2人?

再婚相手三淵乾太郎の連れ子は4人

1956年三淵嘉子さんは、同じ裁判官の三淵乾太郎さんと再婚されます。お互いに連れ子のある再婚同士。

乾太郎さんには4人の連れ子がいましたが、詳細はわかりませんでした。

三淵乾太郎の長女・那珂

再婚されたときは結婚していて、家を出ていたそうです。

嘉子さんとは電話でよくケンカをしていたとか(;^^)血のつながらない親子がケンカするって、きっと仲がよかったんでしょうね。

三淵乾太郎の次女・奈都

再婚当時21歳だったそうです。

三淵乾太郎の三女・麻都

再婚当時18歳だったそうです。

三淵乾太郎の長男・力

再婚当時14歳だったそうです。和田芳武さんと1歳違いですね。芳武さんはこのなかで、一番年下になります。

嘉子さんが育てたのは、実質当時14歳だった三淵力さんと、芳武さんだったのでしょう。

長女からは「猛女」と呼ばれていたという嘉子さん(;^^)どんな家庭を築かれたのか、ドラマで再現されるといいですね。

まとめ

【虎に翼】佐田優三は戦死する?モデルは戦争で死亡したかネタバレと史実も

NHK朝ドラ「虎に翼」ヒロイン寅子が娘を出産し、優未と名付けます。

この優未のモデルは、寅子のモデル、三淵嘉子さんの息子、和田芳武さんだと思います。

嘉子さんはのちに再婚され、お相手の連れ子4人の母親にもなりますが、実際に産んだのは芳武さんおひとりです。

優未が誕生したのは1943年12月。和田芳武さんは1943年に生まれているので、やはりモデルといっていいと思います!

和田芳武さんはのちに医科学研究所で、寄生虫について研究されていたそうですが、2020年、57歳のころにお亡くなりなったそうです。

和田芳武さんについても、再婚相手の連れ子、三淵那珂さん、奈都さん、麻都さん、力さんについても、詳細はわかりませんでした。

ということで佐田優未のモデルは、和田芳武さんだと思います!

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