虎に翼桂場等一郎【松山ケンイチ】のモデルは帝人事件の判決文の石田和外?

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朝ドラ「虎に翼」で猪爪寅子の父の共亜事件の裁判を担当している松山ケンイチさん演じる裁判官の桂場等一郎(かつらば・とういちろう)に実在モデルはいる?虎に翼の桂場等一郎【松山ケンイチ】のモデルは帝人事件の判決文「水中に月影を掬するが如し」の石田和外さんか史実をご紹介です。

目次

虎に翼桂場等一郎【松山ケンイチ】とは?猪爪寅子との関係は?

松山ケンイチ演じる桂場等一郎(かつらば とういちろう)とは?

司法の独立を重んじる気鋭の裁判官。堅物で腹の内を決して見せないため、周囲の人々も彼をつかみきれない。寅子に対して、女性が法律を学ぶことに疑問を呈する。「法の世界」の手ごわい先輩だが、実は甘党。

引用元 NHK

NHK連続テレビ小説「虎に翼」は、女性初の弁護士になられた、三淵嘉子さんの半生を元に、オリジナルストーリーで描かれています。

三淵嘉子さんをモデルにしたヒロイン、猪爪寅子を演じているのは伊藤沙莉さん。

桂場等一郎は裁判官なのですが、寅子は妙に縁があり、寅子の母親とも会っていましたね。

寅子と桂場等一郎の出会いは、第3話目で描かれました。

明律大学の臨時講師で寅子と出会う

猪爪家に書生として住んでいる、優三(仲野太賀)のお弁当を届けるため、明律大学に向かった寅子(伊藤沙莉)。

教室から「女性は無能力者」という言葉が聞こえ、思わず反応し大きな声を上げます。

その教室にいたのは、裁判官の桂場等一郎(松山ケンイチ)。

明律大学で教員をしている法学者、穂高(小林薫)が腰を痛めたため、臨時講師として来ていました。

そこに穂高も現れ、寅子に法律の説明をし、熱心に聞く寅子に法律を学んではどうかと聞きます。

明律大学に新設された女子部法科は、女性も弁護士になれる時代を見越して、設置されました。

ですが女性が法律を学ぶのは、まだ早いと思う桂場等一郎です。

厳しい表情を崩さない桂場等一郎ですが、穂高はお礼にと竹もとのお団子を桂場等一郎に渡します。

桂場等一郎が甘党である伏線が、ここで描かれていましたね。そして次の寅子との出会いも竹もとでした。

寅子の母親に怒鳴られる!?

女学校の帰り、竹もとではる(石田ゆり子)と待ち合わせをした寅子。

そこには桂場等一郎もいて、まさにお団子を食べようとしています。

桂場等一郎に挨拶をし、明律大学に進学することを反対している母親を、説得する方法を尋ねた寅子。

ですが桂場等一郎は女性が法律を学ぶのは、まだ時期尚早であり、女子部進学には反対だ、と答えます。

さらに桂場等一郎はこう続けました。

「母親ひとりを説得できないようじゃ、話にならない。この先優秀な男性と方を並べて、戦うことになるんだよ」

ふたりの会話を聞いていたはるは、突然怒り出します。

「おだまんなさい!何を偉そうに。うちの娘の何がわかっているのいうのですか!女性の可能性を摘んできたのは誰?男たちでしょう!」

ただお団子を食べにきただけの桂場等一郎(笑)「わたしに感情的になられても」と返しますが、はるに「無責任に娘の口をふさごうとしないで」とキレられてしまいました(;^^)

桂場等一郎を若造呼ばわりし、怒りがおさまらないはる。本当は寅子の振袖を買う予定でしたが、はるは寅子に六法全書を買い与えます。

こうして明律大学女子部に進学した寅子は、女子部を卒業し法学部へと進みました。

ある日寅子の父親、直言(岡部たかし)が贈賄の容疑で逮捕されます。

共亜事件の判事として出会う

直言が逮捕されたのは、不正な株取引があったとされた大汚職事件の共亜事件。

共亜事件のモデルについては以下の記事で紹介しています。

【虎に翼】父親が「共亜事件」で逮捕!モデルは帝人事件?三淵嘉子の実話?

政財界の大物など16人が逮捕され、世間からも非難を浴びています。

この裁判の判事をしていたのが桂場等一郎です。

共亜紡績の株価が高騰することを知っていて、不正に得た利益が政財界にばらまかれた、というもの。

逮捕された16人は、共亜紡績の重役や大蔵省の官僚のほか、現役大臣も含まれていました。

株取引の実務をしたとされる、帝都銀行の理事とともに、賄賂を贈ったという罪により、直言も逮捕されています。

ですが実際には直言も賄賂など贈ってはおらず、自白を強要されていました。

確固たる証拠もなく、自白のみで押し通そうとする検察。

さて、この裁判はどうなるのでしょうか!

桂場等一郎の今後のネタバレは?共亜事件の判決はどうなる?

全員が無罪!?判決文を書いた桂場

朝ドラ「虎に翼」共亜事件の裁判は・・・寅子の父親、直言を始め、全員が無罪となります!

当初は世論も16人に対し厳しい目を向けていましたが、革手錠をはめられていたことから、検察側の厳しい追及に批判が集まるようになりました。

100回を超えた公判が結審となり、裁判長から判決が言い渡されました。

本件において、検察側が主張するままに事件の背景を久美他店としたことは、「あたかも水中に月影を掬いあげようとするかのごとし」。すなわち、本件判決は証拠不十分によるものではなく、犯罪の事実そのものが存在しないと認めるものである。

検察側は自白を盾に、証拠集めなどを怠っていたため、控訴を断念。16人の無罪が確定しました。

判決後、穂高と桂場等一郎は酒を酌み交わします。

判決文を書いたのが、桂場等一郎だと見抜いた穂高。

「それにしても名判決文だったねぇ」

そう言って穂高は桂場等一郎を褒めたたえました。

穂高からこのことを聞いた寅子は、どうしてもお礼が言いたくて竹もとで待ち伏せ。

現れた桂場等一郎にお礼を言うと、こう返してきました。

「誰のためでもない。法を司る裁判官として当然のことをしたまでだ」

桂場等一郎は寅子に「裁判官になりたいのか?」と聞きましたが、すぐに訂正します。

「あぁ、ご婦人は裁判官にはなれなかったね。失礼。」

このときまだ女性は、弁護士になる資格を持つことはできましたが、裁判官にはなれなかったのです。

この会話が寅子の運命を、大きく変えていくことになります。

その後の桂場等一郎は度々登場します。

花岡が桂場の下で学ぶ

裁判官を目指す花岡(岩田剛典)は、桂場等一郎の下で実務を積むことになります。

戦後、裁判官を目指した寅子が法曹会館に行き、人事課に乗り込んだとき、そこにいたのも桂場等一郎でした。

桂場等一郎は寅子を追い返そうとしましたが、久藤という裁判官がやってきて、寅子を気に入り自分の下で働くよう勧めます。

敗戦から3年後の1948年、桂場等一郎は初代最高裁人事課長に就任します。

桂場等一郎から呼び出された寅子は、大正から続く少年審判所と、新設された家事審判所を合併させた、家庭裁判所を発足させる仕事に就くことになりました。

「家庭裁判所が設立された暁には、裁判官にしてください!」

そう訴える寅子に、呆れつつも桂場等一郎は「善処する」と答えます。

のちに家庭裁判所が設立され、寅子は念願の裁判官に任命されました!

ここまでが桂場等一郎についてわかっているネタバレです。

直言の裁判が終わってからも、寅子とは長く交流が続くんですね。

女性の法曹界進出を、歓迎していなかった桂場等一郎。まだ詳しくはわかりませんが、寅子を女性初の裁判官にしたのは、桂場等一郎だったのかも?

そんな桂場等一郎のモデルについてご紹介です。

虎に翼桂場等一郎【松山ケンイチ】のモデルは帝人事件の判決文の石田和外?

NHK朝ドラ「虎に翼」松山ケンイチさんが演じている、桂場等一郎のモデルは、裁判官として帝人事件の判決をした、石田和外さんだと思います!

石田和外とは

石田和外さんは1903年、福井県庁職員だった父親の元生まれました。祖父は福井市議会議長を務めた人物。

父親が46歳で他界したため、石田和外さんは一家で上京し、のちに東京帝国大学法学部を卒業します。

卒業後に司法省に入省し、最高裁判所長官を務められました。

石田和外さんが31歳のころの1943年に帝人事件の第一審裁判を担当され、判決を起案しています。

事件そのものがなかったことを強調するため「水中に月影を掬するが如し」という名文句を使、全員に無罪を言い渡しました。

このことで「司法界に石田あり」と注目されます。

司法界には、権力になびくような人たちもいたそうですが、帝人事件の裁判では独立を貫き、法の正義を守ったといわれています。

この帝人事件の裁判の数年後、帝人事件の黒幕といわれる平沼騏一郎襲撃事件の裁判で、裁判長を担当しました。

証人について、軍の意向を受けた検察官が、裁判の中止を申し立てましたが、石田和外さんはこれを拒否。

権力に屈することなく、裁判公開の原則を貫きました。

1947年に司法省人事課長に就任。その後最高裁判所事務局に異動となり、人事課長や事務局長などを歴任。

その後東京地方裁判長や、最高裁判所事務総長、東京高等最場所長官を歴任します。

1963年に最高裁判所判事に就任。

退官後の1978年、日本会議の前身のひとつである「元号法制化実現国民会議」を結成し、議長となります。

その翌年となる1979年に、75歳でお亡くなりになりました。

帝人事件の判決文を担当!「水中に月影を掬するが如し」

帝人事件は1934年に起こった、大汚職事件です。台湾銀行が保有する帝人株の買戻しを巡り、現職閣僚や帝人社長、台湾銀行の頭取など大物16人が逮捕。

当時の齋藤内閣が総辞職に追い込まれました。

ですが2年に及ぶ裁判の一審で、事件そのものがなかったという判決が出ます。

次期首相候補とされていた、平沼騏一郎さんによるでっち上げだといわれています。

朝ドラ「虎に翼」に登場したモロボシ・ダン・・・じゃなくて森次晃嗣さんが演じている水沼淳三郎のモデルが平沼騏一郎さん。

平沼騏一郎さんについては以下の記事で詳しくご紹介しています。

虎に翼【水沼淳三郎】のモデルは平沼騏一郎で帝人事件の黒幕?森次晃嗣が演じる

実際に帝人事件をでっち上げた、裏の人物だとされていて、若い検察官に指示し、この事件をでっち上げたといわれています。

この若い検察官が、堀部圭亮さんが演じた日和田なのだと思います。

ただこれに関しては平沼騏一郎さんが、どこまで関与していたかは実際にはわかっていません。

帝人事件でも「虎に翼」で描かれたように、裁判官たちを買収しようとしたのかもしれませんね。

ですがその権力に屈することなく、正義を貫いたのが石田和外さんたちでした。

帝人事件もドラマの共亜事件と同じで、不正な株取引があったとして、政財界などの大物、16人が逮捕されましたが、全員無罪になっています。

革手錠をするなど、厳しい取り調べで自白を強要しましたが、肝心の証拠集めは手を抜いていたため、控訴は断念せざるを得なかったようです

帝人事件をモデルにしたのが共亜事件。帝人事件ではこの事件がでっち上げである、という判決文を石田和外さんが起案しています。

「虎に翼」でも同じような判決文が出ますが、これを書いたのが桂場等一郎です。

「水中に月影を掬するが如し」という名文句を使い、事件そのものがなかったことを強調しました。

また「虎に翼」では1948年、桂場等一郎は初代最高裁人事課長に就任します。

石田和外さんも1948年に最高裁判所事務局に異動となり、人事課長などを歴任されました。

石田和外と三淵嘉子に関係はあった?

虎に翼のヒロイン・寅子のモデル三淵嘉子さんです。

三淵嘉子さんについては、以下の記事でご紹介しています。

【虎に翼】猪爪寅子のモデルは誰?三淵嘉子で結婚相手は2人?

石田和外さんと三淵嘉子さん直接的な接点は見つけられませんでした。

三淵嘉子さんは裁判官の採用願を提出していますが、そのときはまだ女性の裁判官は存在していません。

三淵嘉子さんはそのまま司法省で学ぶことができ、1949年に判事補として採用されています。

正確にはわかりませんが、このとき石田和外さんは最高裁人事課長などを歴任されていました。

女性初の判事補誕生に、一役買ったのでは?と個人的に想像しています。

「虎に翼」でどう描かれるのか楽しみですね。

「虎に翼」桂場等一郎は甘党ですが、石田和外さんが甘党だったという記載は見つかりませんでした。

また石田和外さんは剣道家としてもご活躍され、全日本剣道連盟2代目会長も務められました。

今のところ、桂場等一郎は剣道をしている姿は描かれていません。

まとめ

朝ドラ「虎に翼」松山ケンイチさんが演じている、裁判官の桂場等一郎のモデルは、最高裁判所長官などを歴任された、石田和外さんだと思います。

桂場等一郎は1948年に最高裁人事課長に就任しますが、石田和外さんもそのころ、同じように最高裁人事課長などを歴任されています。

何より大きな理由は、帝人事件をモデルにした共亜事件の判決文です。

「水中に月影を掬するが如し」という名文句で、事件がでっち上げだったことを強調しています。

小林薫さんが演じている穂高のモデル、穂積重遠さんも実際に帝人事件で、大蔵省大久保偵次銀行局長の帝大同期として、特別弁護人を務められました。

石田和外さんと三淵嘉子さんの直接的な関係は、あまりなかったと思われますが、三淵嘉子さんが判事補になられたとき、石田和外さんは人事課長などをされていました。

ここでもしかしたら出会っていたかもしれません。

ということで、桂場等一郎のモデルは、石田和外さんだと思います!

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