【虎に翼】星朋彦モデルは三淵忠彦!平田満演じる最高裁判所長官は誰?

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NHK朝ドラ「虎に翼」で平田満さんが演じる星朋彦(ほし ともひこ)に実在モデルは誰でしょうか?「虎に翼」の星朋彦のモデルの初代最高裁判所長官の三淵忠彦さんについてご紹介します。

目次

【虎に翼】で星朋彦とは?初代最高裁判所長官

朝ドラ「虎に翼」とは

主演は伊藤沙莉。日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ、三淵嘉子さんの実話に基づくオリジナルストーリー。困難な時代に立ち向かい、道なき道を切り開いてきた法曹たちの情熱あふれる姿を描いた作品です。

昭和のはじめ、日本初の女性専門に法律を教える学校ができます。そこへ集ったのは、当時の日本のどこにも収まれない、溢れ出す何かを抱えた女性たちでした。この物語の主人公・猪爪寅子も、そんな収まれない女性。周囲から“魔女部”と陰口を叩かれた女性だけの学び舎で、彼女たちは自らの道を切り開くため法律を学んでいきます。

昭和13年(1938)、卒業生から日本初の女性弁護士が誕生します。寅子もその一人として日本中から注目され憧れの的になります。しかし弁護士として意気揚々と世に出た彼女たちを待ち受けていたのは、戦争へと突き進んでいく日本でした。法学という社会に羽ばたく翼を得たはずが、それを使える場は急速に消えてしまいます。

昭和20年(1945)、焼け野原に立つ寅子は全てを失っていました。明日生きるため頼れるのは、かつて学んだ法律だけ。彼女は裁判官になることを決意。戦争で親を亡くした子どもや苦境に立たされた女性たちのため、家庭裁判所の設立に奔走することになります。

そして、寅子はついに裁判官になります。彼女とその仲間たちは、政治でも経済でも解決できない、追いつめられた人々の半径5メートルの世界を見つめ、その苦境から救うため情熱をもって向き合っていきます。

引用元 NHK

星朋彦とは?

星 朋彦 (ほし・ともひこ):平田満

初代最高裁判所長官で、裁判官・星航一の父。寅子に自身の著作の改稿作業を手伝ってもらうことになり交流を深める。穂高重親とも親しく、老いてますます高い理想を語らう仲である。

<平田満さん コメント>

“朝ドラ”は、いろんな時代のいろんな人物がお茶の間に登場するので、懐かしさと親近感があり、いつも楽しく見ています。今回は熱量とテンションの高い伊藤沙莉さんの、しかも裁判官のお話なので、期待も高まるばかりです。最高裁長官という、これまで演じた中でもっとも偉い人をやるのは荷が重いですが、ご覧になる方が気持ちよく一日を始められるよう、リラックスして臨みます。

引用元 NHK

新憲法に基づいた最高裁判所が創設され、初代最高裁判官に星朋彦(平田満)が任命され、桂場(松山ケンイチ)は人事課長に、そして久藤(沢村一樹)が秘書課長に任命されました。

桂場と久藤のモデルについては、こちらをどうぞ。

虎に翼桂場等一郎【松山ケンイチ】のモデルは帝人事件の判決文の石田和外?

ライアン【久藤頼安】のモデルは内藤頼博!虎に翼で沢村一樹演じる裁判官

「虎に翼」では3人で歩く様子が描かれましたね。最初平田満さんだと判らず誰???と思いました(笑)

星朋彦がこう尋ねます。

「どうだい?例の件は」

ライアンこと久藤が笑顔で答えました。

「あの人ならきっとやり遂げてくれるでしょう」

そう答えたあと、画面は滝行に打ち込む、多岐川幸四郎(滝藤賢一)の姿が映し出されました。

滝藤だけに滝行?そんなワケないですね(;^^)滝藤賢一さんが演じている、破天荒すぎる多岐川幸四郎のモデルはこちらでご紹介しています。

多岐川幸四郎のモデルは宇田川潤四郎【虎に翼】家庭裁判所の父で滝藤賢一が演じる!

現在星朋彦についてわかっているのは、初代最高裁判所長官だということです。

【虎に翼】星朋彦モデルは三淵忠彦で実在

三淵忠彦(1880~1950)

三淵忠彦(みぶちただひこ)さんは、1880年(明治13年)会津藩士・三淵隆衡(家老・萱野長修の実弟)の子として生まれました。

父親の三淵隆衡は、戊辰戦争の責任を負い切腹した、会津藩家老、萱野長修の弟です。

三淵隆衡は家名が断絶させられ、三淵と名乗るようになったそうです。

判事となる

三淵忠彦さんは幼いころから優秀で、東京帝国大学法科に入学。ですが両親と弟を失い、学業を中断しました。

再び京都帝国大学法科に入学され、書生をしながら苦学の末25歳で卒業。

地方裁判所の判事となり、大審院判事、東京控訴院上席部長などを歴任しました。

また慶應義塾大学で民法を講義したり、市民の視点に立った、進歩的な活動をされたといいます。

裁判官時代はのちに総理大臣となる、片山哲弁護士と親交を深め、労働法制定や家庭裁判所の設置に同調しました。

三井信託銀行へ

嘱望されながらも45歳で退官され、三井信託銀行の顧問に。当時信託業法が設立されたばかりで、法律の専門家が必要だった三井信託銀行。

それに三淵忠彦さんが答えた形となります。

ただし、息子の三淵乾太郎さんによると、当時は裁判官の報酬が低かったため、経済的な理由だったのでは?と推測されているそうです。

三井信託銀行を60歳で辞任し、自適の生活に入ります。

甘柑荘

1945年5月の空襲により、東京渋谷の自宅が焼失し、小田原の旧家で暮らすようになりました。

その旧家は、三淵忠彦さんが昭和初期に建てられた、数寄屋風の家。のちに「三淵邸・甘柑荘」と呼ばれるようになります。

忠彦さんの息子、乾太郎さんと再婚された三淵嘉子さんも、この邸宅を愛用していたといいます。

令和6年(2024年)5月に本市の歴史的風致形成建造物に指定。小田原の旧家の物置から、多くの遺品が見つかっているそうです。

初代最高裁判所長官

新憲法が制定され、最高裁判所が設立されました。

このとき三淵忠彦さんは、最高裁判所判事の候補にも挙がっていなかったそうですが、片山内閣が発足したことでほかからのの推薦もあり、最高裁判所長官に就任されました。

民事裁判感としての評価も高かったといいます。

このとき三淵忠彦さんは67歳。このように語ったそうです。

裁判官は世間知らずであってはならず、政治に巻き込まれてはならないが、政治の動向に無関心であってはならない。国民のためによき裁判所を作るため、どうすればいいか他の14裁判官と相談、勉強していきたい

三淵忠彦さんは国民の権利を擁護し、国民から信頼される裁判所を目指し、その基礎を固めるために尽力。

裁判官の続的な人事行政をなくすため、事務総長を置くことを提言したり、六法全書や筆記用具の公費購入などなども決議されました。

1948年にはGHQに対し、裁判官の地位がほかの公務員と同等にならないよう、相当の報酬にするなどを求め、裁判官の報酬に関する法律制定のきっかけとなっています。

当時は報酬が低く、辞めていく判事が多かったといいます。

1948年に内蔵腫瘍で倒れ、8か月の登庁不能となりました。

その後登庁しますが、およそ半年後に裁判所内で倒れ、その4か月後にお亡くなりになりました。

最後にこのような言葉を遺されています。

我々は天下の大道を歩こうよ、よしや抜け道や裏道があって、その方が近いと分かっていても、それはよしましょう。川に橋がなければ橋を架けて、そして渡りましょう

引用元 あいづ人物伝

このように三淵忠彦さんは、叔父が切腹するという不幸な出来ごともあり、平等や個人の権利を守る、といったことを大事に考えておられました。

初代最高裁判所長官として、最高裁判所の基礎をつくるため尽力された人物です。

三淵忠彦さんが1950年に書き上げた随筆集「世間と人間」は、人生のあり方についても教えてくれる一冊として知られています。

三淵忠彦は三淵嘉子の義父?家族は?

朝ドラ「虎に翼」平田満さんが演じる星朋彦は、初代最高裁判所長官なので、モデルは間違いなく三淵忠彦さんでしょう。

ネタバレになるかもしれませんが、三淵嘉子さんはこれから三淵忠彦さんの長男、三淵乾太郎さんと再婚されるので、三淵忠彦さんは義父になります。

かなりのイケメン(≧∇≦)ちなみに「虎に翼」星朋彦の息子、星航一(ほし こういち)は岡田将生さんが演じます。

星航一のモデル、三淵乾太郎さんについてはこちらをご覧ください。

三淵乾太郎がモデルの朝ドラの裁判官は岡田将生演じる星航一?

家族

三淵忠彦さんは両親のほか、姉と兄がいるようです。忠彦さんは次男とのこと。

忠彦さんは最初の奥様を心臓病で亡くされ、再婚されています。

子どもは長男の乾太郎さんを筆頭に、次男、三男、長女、四男の5人。

長男の乾太郎さんはは裁判官ですが、ほかの兄弟も 千代田生命保険社長、大東京火災海上保険常務だったりと、凄い経歴の持ち主。

長女の夫も日本開発銀行監事です。

嘉子との出会い

三淵忠彦さんは、乾太郎さんより先に嘉子さんと出会っています。

三淵忠彦さんが最高裁判所長官だったとき、三淵嘉子さんは最高裁民事局に配属され、家事審判法の制定作業や、その後新設される家庭裁判所の準備作業に参加されていました。

三淵嘉子さんが家庭裁判所の、創設に関わった史実についてはこちらをどうぞ。

三淵嘉子の家庭裁判所の創設に関わった史実とは?

嘉子さんは三淵忠彦さんの後妻、静さんに気に入られたといいます。静さんも後妻として、4人の子供のいる忠彦さんとご結婚。

このとき乾太郎さんは静さんに反発したといいますが、乾太郎さんも同じように、嘉子さんと再婚し、子どもたちが反発しています。因果応報ですね(;^^)

ある日三淵忠彦さんから呼び出された嘉子さん。何事かと部屋を訪れると、そこにいたのは明治大学の恩師、穂積教授でした。

「虎に翼」小林薫さんが演じる穂高教授のモデルです。

穂積教授と三淵忠彦さんは顔見知りで、嘉子さんのことを聞いた三淵忠彦さんは、嘉子さんが気になり呼び出したのです。

これをきっかけに嘉子さんは、忠彦さんの民放本の改訂作業を手伝うようになり、交流を深めていきました。

1950年に三淵忠彦さんがお亡くなりになり、アメリカ滞在中だった嘉子さんは、帰国後三淵家を弔問。

このときに乾太郎さんと出会い、おふたりは子連れ同士で1956年に再婚されています。

まさに父親、三淵忠彦さんが結んだ縁ですね♪「虎に翼」で、どう描かれるのか楽しみです!

星朋彦役のキャスト俳優の平田満とは?

名前 平田満(ひらた みつる)
生年月日 1953年11月2日(70歳)
出身地 愛知県

引用元 アルファエージェンシー

「虎に翼」ヒロインの伊藤沙莉さんと同じアルファエージェンシー所属の平田満さん。押しも押されもしない名優ですね。

平田満さんは早稲田大学学生のときに、つかこうへいさんと出会い大学を中退。

1947年の劇団「つかこうへい事務所」に参加します。代表作の「蒲田行進曲」。

劇団解散後、舞台の他映画やテレビなどでも、ご活躍されるようになりました。

主演ドラマは2014年の「お父さんは高校生」など。

最近では「リバーサルオーケストラ」で、楽団員でオーボエ担当の穂刈良明を演じました。

篠原涼子さん主演の「イップス」では、塚本高史さん演じる都議会議員の秘書役で登場。

桐山照史(ジャニーズWEST)さん主演の「ゲキカラドウ」には、激辛道の創始者、谷岡役でご出演されました。

2024年公開予定の劇場アニメ「めくらやなぎと眠る女」ではケン役でご出演されます!

朝ドラは「君の名は」「純情きらり」「芋たこなんきん」「エール」に続き、5度目のご出演です。

「エール」では、ヒロイン音(二階堂ふみ」の父、安隆(光石研)が経営する馬具製造工場の取引先で、陸軍の仲介をしていた打越金助役でご出演されました。

まとめ

NHK連続テレビ小説「虎に翼」で、平田満さんが演じる初代最高裁判所長官、星朋彦。

モデルは史実の初代最高裁判所長官だった、三淵忠彦さんで間違いないでしょう。

三淵忠彦さんは叔父が戦争の責任をとり切腹する、という過去を背負いながら、苦学で大学を卒業され、裁判官になられました。

裁判官での業績が認められ、初代最高裁判所長官に任命。

平等や個人の権利を守り、国民から信頼される裁判所作りに尽力されました。

1950年に69歳でお亡くなりになりましたが、その6年後に長男の乾太郎さんと、三淵嘉子さんが再婚。三淵忠彦さんが結んだ縁でした♪

そんな三淵忠彦さんを平田満さんが演じます!今後の活躍に期待してください!

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