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紫式部の娘の賢子の父親は誰?道長の子供か「光る君へ」の仰天ネタバレの史実とは?

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NHK大河ドラマ「光る君へ」紫式部こと主人公・まひろの娘・賢子(かたこ)、藤原道長の子供だったという衝撃の展開!果たして史実とは?実話なのでしょうか?紫式部の娘の賢子の父親は誰か?道長の子供なのか?仰天ネタバレの史実をご紹介します。

目次

光る君へ紫式部の娘の賢子は道長の子供?衝撃のネタバレとは?

一条天皇と彰子の年齢差とは?関係や仲は良かった?

石山寺でばったり出会ったまひろ(吉高由里子)と道長(柄本佑)。思い出話に花を咲かせるうちにふたりは…。そして季節がかわり、道長の娘・彰子(見上愛)が入内し、その6日後に定子(高畑充希)は皇子を出産。一条天皇(塩野瑛久)の気持ちはますます定子と皇子へと傾く。道長は晴明(ユースケ・サンタマリア)に相談を持ち掛けると、とんでもない提案をされる。一方、まひろは懐妊が発覚し、宣孝(佐々木蔵之介)は喜ぶが…

引用元:公式サイト

夫の宣孝とは喧嘩ばかり

道長への思いを断ち切り、宣孝の妻となったまひろ。

しかし夫の宣孝の空気を読まない(^^;言動がまひろを怒らせて、喧嘩ばかりの2人。

長らく会っていないまひろと宣孝でした。

道長と久々の再会!そして・・・

しかしある時、石山寺で偶然に道長と出会い思い出話に花を咲かせます。

越前に渡っていて宋人と出会い、宋の言葉を学んだと言うまひろ。

宋の言葉を披露すると、昔から賢いと思っていたと道長は言います。

そしてまひろが京に戻ってきてよかったというも、道長はそれ以上言葉が出てこず、まひろは供のものと帰ると言いました。

2人は別れの挨拶を告げ、道長は去っていきますが・・・

振り返るとそこにはこちらを見るまひろが。

思いを断ち切れず道長は走って戻ってきたのです。

そして二人は抱き合い接吻し、一夜を共にしたのでした。

朝、道長は「今一度、俺の側で生きることを考えぬか」と問います。

しかし、まひろは「お気持ちうれしゅうございます。でも・・・」とためらっていると道長は「俺はまたフラれたのか」と言い現実に戻ることに。

まひろが驚きの道長の子を懐妊!賢子を出産!

それから時がたち、まひろは体調が思わしくありません。

いとはそれは病ではなく懐妊だと言う。

身ごもった時期を考えると、それは夫の宣孝ではなく、あの日の道長との関係ではとまひろは思います。

夫の宣孝とは、ずっと喧嘩をしていたので((+_+))

そして宣孝に正直に懐妊を伝えると、宣孝は喜ぶものの、まひろは殿と別れると言うのです。

しかし宣孝は父親が自分ではないと気づいており、一緒に育てると言ってくれました。

「その子を慈しんで育てれば、左大臣様(道長)はますますわしを大事にしてくださろう」

こうしてまひろはその年の暮れ、女児・賢子(かたこ)を出産したという展開でした!

紫式部の道長の子供を出産にSNSの反響は賛否両論!

藤原彰子と紫式部の関係は不仲だった?道長の娘は美人って本当?

第27回のタイトルは「宿縁の命」!

まひろに子供が誕生することは事前に明らかになっていましたが、まさか道長と再び関係を持って身ごもるとは予想だにしませんでした。

個人的にはかなり衝撃で、SNSでも驚きの声が多数ありましたね。

生まれた娘の父親が実は道長だったという衝撃の展開。

賛否両論あるものの、どちらかというと否定的な声が多いような印象を受けました。

宣孝が道長との子供だと気づきながらも、それを許し自らの子供として受け入れるという展開も良かったです!

さらに事前に、まひろに子供が生まれると知っていた方の中には、道長が父親として話を進めるだろうと予想していた声もありましたね。

紫式部の娘の賢子の父親は誰?「光る君へ」の仰天ネタバレの史実とは?

仰天ネタバレは大胆すぎるオリジナル

紫式部が娘の賢子を産む展開は史実通りなのですが・・・

父親は藤原宣孝であり、道長と関係を持って生まれたという描写はこのドラマのオリジナルです!

歴史を良く知る方からすると、ちょっとこのストーリー展開は受け入れがたいところが有ったのかもしれません。

個人的には、大石静さんの脚本なので有かなとは思っていますが(;^_^A

そして気になるのは、史実の紫式部の娘・賢子についてです。

以降で詳しくご紹介したいと思います。

紫式部の娘の賢子の父親は誰?史実では?

史実の紫式部も、999年に娘の賢子(けんし・かたこ)を産みました。

しかし、結婚からわずか3年たった1001年に、流行していた疫病で突如夫の宣孝は亡くなってしまします。

それからは紫式部は賢子を一人で育てることになったのです。

そして藤原道長の娘・彰子に仕えることになり、現在でも愛される不朽の名作「源氏物語」を執筆することになるんですよね~。

娘の賢子は、後に大弐三位(だいにのさんみ)とも呼ばれることになります!

1017年頃に母親の紫式部の役割を引き継ぎ彰子に出仕。

結婚相手は、諸説あるようですが、藤原道長の甥の藤原兼隆と言われています。

ドラマにも登場した道長の兄:藤原道兼(玉置玲央)の息子なんですよね。

藤原道兼の死因や最後とは?紫式部との関係は史実とは違う?

そして1025年頃には後冷泉天皇の乳母(めのと)を務めました。

その後高階成章と再婚したとも言われており、女流歌人として三十六歌仙の一人にも選ばれた賢子。

亡くなった年は定かではありませんが、80歳以上まで長生きしたと言われているんです。

そんな賢子ですが、結婚前には数多くの男との恋愛遍歴があったとか!

藤原道長の息子・頼宗や、藤原公任の息子・定頼と交際していたそう。

母の紫式部は慎重な性格で、あまり感情を露わにしなかったと言われていますが、賢子は情熱的かつ開放的だったみたいです。

そんな経験から、晩年は歌人としての活躍が出来たのかもしれませんね。

まとめ

藤原宣孝の死因と最後とは?紫式部の夫の史実とは?

今回は「光る君へ」27話で誕生した賢子の父親についてご紹介しました。

ドラマの中では、藤原道長が父親のように描かれましたが、史実の紫式部の娘・賢子は夫である藤原宣孝の子供です。

今で言うところの不倫の末に身ごもったという展開は、史実ではなくオリジナルの展開です。

果たして今後、道長が賢子が自分の子だと知ることになるのでしょうか?

大石静さんだったら、その辺りも描きそうな気もしますよね(;^_^A

今後も「光る君へ」のまひろと道長の関係に注目です!

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