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藤原宣孝の死因と最後とは?紫式部の夫の史実とは?

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NHK大河ドラマ「光る君へ」で佐々木蔵之介さん演じる藤原宣孝(ふじわらのぶたか)は紫式部の夫となる人物です。藤原宣孝の気になる史実を死因と最後までご紹介します。

目次

藤原宣孝とは?光る君へで佐々木蔵之介演じる紫式部の家族を気に掛ける父親の友人

白氏文集の「新楽府」【漢文】を紫式部が学んだ史実とは?

藤原 宣孝(ふじわらののぶたか)

まひろ(紫式部)の父・藤原為時とは職場の同僚で同年配の友人どうし。世知にたけ、鷹揚(おうよう)な性格の男性。まひろのことは幼いころから知っており、よい話し相手となって温かく見守る。

引用元:公式サイト

佐々木蔵之介さん演じる藤原宣孝は、第1話から度々登場しています。

藤原為時(岸谷五朗)が官職に付けず、貧しい暮らしを強いられるまひろ(吉高由里子)家族を気にかけて様子を見に来ては、酒を飲んで帰っていくようなキャラですね。

型破りで飄々とした性格で、まひろの嫁入り先をいつも心配してくれている親戚の叔父さんのようにも見えます。

京で官職についていた宣孝でしたが、あるとき筑前守に任命されて一時京を離れていました。

そして再び官職を得ることが出来た藤原為時は、まひろと共に越前に赴任することになります。

そんなまひろと為時のもとに、6月9日放送の第23回では宣孝が会いに来るという展開になるようです。

宣孝がまひろに会いに来た目的とは?

以降でネタバレご紹介したいと思います。

藤原宣孝がまひろにプロポーズする!?ネタバレとは?

朱(浩歌)は三国(安井順平)を殺していないと日本語で主張する周明(松下洸平)に驚くまひろ(吉高由里子)と為時(岸谷五朗)。周明が連れてきた下人が、光雅(玉置孝匡)に朱が殺したと言えと脅されていたと証言する。ほどなくして解放された朱は、為時だけに越前に来た本当の狙いを語り出す。一方で周明も、まひろに自分の過去を語り出す。ある日、宣孝(佐々木蔵之介)がまひろと為時に会いに越前にやってきて…

引用元:公式サイト

越前にやってきたまひろは、宋の見習い医師・周明(松下洸平)と出会い、何やら良い雰囲気になりそうな感じですが・・・

光る君へ周明の実在モデルと紫式部との関係は?日本語を話す日本人説についても

そこに宣孝が突然やってきたんのです。

その目的とは、まひろへプロポーズ、結婚の申し込みをするためだったのです。

まひろと宣孝ってかなり年が離れている印象ですが、ちょっとびっくりですよね(;^_^A

ちなみに第24話の公式あらすじにもしっかり、宣孝が求婚することが書かれています。

宣孝(佐々木蔵之介)から求婚され、さらには、周明(松下洸平)からも一緒に宋へ行こうと誘われるまひろ(吉高由里子)。しかし、心の内には道長(柄本佑)が…。一方内裏では、一条天皇(塩野瑛久)が定子(高畑充希)と生まれた姫皇子に会いたい気持ちを募らせていた。詮子(吉田羊)は一条の願いをどうにかかなえてあげてほしいと道長(柄本佑)に懇願する。行成(渡辺大知)の案で、内裏の外で会えることとなったのだが…

引用元:公式サイト

果たしてまひろは周明、宣孝どちらを選ぶのでしょうか?

心の中には道長(柄本佑)がいるので、結婚をしないと言う選択もありそうですが・・・

史実でも紫式部は藤原宣孝と結婚しているので、「光る君へ」でも宣孝とその後結婚することになるんです!

以降で気になる藤原宣孝の史実についてご紹介します。

藤原宣孝の死因と最後とは?紫式部の夫の史実とは?

紫式部とは「はとこ」

藤原宣孝の生まれた年はよくわかっていません。

藤原為時と、宣孝の父・為輔はいとこ同士という関係。

したがって、為時の娘・紫式部と宣孝はまたいとこ(はとこ)という間柄になるようです。

そして為時が懇意にしている同僚でもあった宣孝。

藤原北家の流れをくむ宣孝は、曾祖父、定方が醍醐天皇の外祖父で右大臣を務めて、父・為輔が権中納言に任じられているほか、道長の正室である倫子とも縁戚となる名門の貴族出身です。

筑前守や、山城守などの役職を務め、為時とも親しい間柄だったと言われています。

有能な官吏だった宣孝は経済的にも恵まれていて賀茂祭の舞人を務めるなど雅な一面を持っていましたが、かなりの派手好きで放埓な性格だったとのこと。

宣孝には、紫式部と結婚する前にすでに妻が何人もいて、長男の隆光は紫式部と同じような世代。

紫式部と結婚

紫式部とは20歳ほど年が離れていましたが、998年(長徳4年)頃に、紫式部は越前から京に戻って宣孝と結婚したとされているそう。

当時としては26歳だったことから、晩婚だったそうです。

紫式部にとって、約1年半いた越前は雪深い田舎にすぎず、父の任期が明けるのを待たずに単身で京へ戻ることを決意したそうで、京の藤原宣孝からの求婚の手紙が届いたことから、単身で戻ったと言われています。

また京に戻った理由は田舎暮らしに飽きた末の衝撃的な選択という説もありますが、父親想いのまひろなので、この説では描かれないと思われます。

そして紫式部とは同居していなかったそうです。

結婚後の主導権は紫式部!?

結婚してまもなく、宣孝が紫式部の送った恋文を他人に見せたとして、ふたりは痴話げんかの歌をやり取りしています。

父娘ほども年齢が離れた夫に対して、結婚後にすぐに主導権を握ってしまう紫式部はさすがだったと言われています。

夫婦となった二人の間には、賢子(けんし)という女児が誕生!

賢子は大弐三位(だいにのさんみ)とも呼ばれ、後に越後弁として彰子に仕えて、親仁親王(のちの後冷泉天皇)の乳母となり、女流歌人として文化面で活躍した人物でもあります。

そして次第に宣孝が紫式部の元に通う回数が減り、紫式部は夫の夜離をなじる歌をいくつか詠んでいます。

しかし、結婚からわずか3年たった1001年(長保3年)4月25日、多忙なさなかに流行していた疫病で突如亡くなってしまった宣孝。

突然の死

夫が亡くなった際、紫式部は以下のような歌を詠みました。

「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」

親しかった方が煙となって消えてしまった夕方、陸奥国の塩釜の浦でたなびく塩焼きの煙でさえも懐かしく感じられるという意味があるそうです。

夫の死を悼むなか、さっそく求婚者が現れますが、紫式部は歌の贈答で断ったとされています。

その後、夫を亡くした紫式部は、幼い娘・賢子を育てながら、わびしい生活を余儀なくされました。

そして、後に藤原道長の娘・彰子に仕えることになります。

そして現在でも愛される不朽の名作「源氏物語」を執筆することになるのです。

「源氏物語」の執筆時期は諸説ありますが、宣孝との死別後に気慰みに書き始めたという説が有力だったそうです。

「源氏物語」の中には、短いながらも夫婦となった宣孝への思い出も込められていたのかもしれませんね。

 

まとめ

中宮・藤原定子の死因と最後とは?落飾【出家】など悲運の生涯とは?

今回は「光る君へ」でまひろの夫となる藤原宣孝の死因についてご紹介しました。

まひろと結婚して間もなく、女児を授かるのですが、間もなく疫病にかかり亡くなってしまう藤原宣孝。

ドラマの中でも、夫婦として過ごす場面はあまり多くないかもしれませんね((+_+))

佐々木蔵之介さん演じる宣孝と、吉高由里子さん演じるまひろ。

年の離れた夫婦をどう演じるか楽しみにしたいと思います(^^♪

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