三淵嘉子の新潟家庭裁判所への転勤の史実!娘は連れて行った?

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日本初の女性弁護士三淵嘉子【みぶちよしこ】さんがモデルのNHK朝ドラ「虎に翼」でヒロイン寅子の新潟家庭裁判所への転勤で娘の優未を連れて行くかが話題です。三淵嘉子さんの新潟家庭裁判所への転勤はあったのか?子供・娘は連れて行ったのか史実をご紹介します。

目次

三淵嘉子は新潟家庭裁判所に転勤した?

朝ドラ「虎に翼」とは

主演は伊藤沙莉さん。日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ、三淵嘉子さんの実話に基づくオリジナルストーリー。

困難な時代に立ち向かい、道なき道を切り開いてきた法曹たちの情熱あふれる姿を描いた作品です。

三淵嘉子とは?

三淵嘉子さんは1914年、台湾銀行に勤める父親の勤務先だった、シンガポールにて長女として誕生。

帰国し明治大学専門部法科に入学し、1935年に明治大学法学部に入学され、卒業後に高等試験司法科試験に合格。

中田正子さん、久米愛さんらとともに、日本初の女性弁護士になられました。

1941年に実家に書生として下宿していた、和田芳夫さんとご結婚。1943年に長男を出産しますが、和田芳夫さんは出征し1946年に戦病死されています。

1947年に最高裁判所が発足され、最高裁民事局局付に就任。翌年最高裁家庭局事務官、最高裁家庭局付を歴任。

1949年に東京地裁判事補に就任されました。

1952年に女性初の判事となり、1956年に裁判官の三淵乾太郎さんと子連れ同士の再婚。

1962年に東京家庭裁判所判事となり、少年部で5000人以上の少年少女の更生に尽力。家裁の母と呼ばれるようになります。

1972年に家庭裁判所長に任命され、女性初の家庭裁判所長になられました。

1984年に骨肉腫により、69歳でお亡くなりになりました。

三淵嘉子さんについては、こちらで詳しく紹介しています。

【虎に翼】猪爪寅子のモデルは誰?三淵嘉子で結婚相手は2人?

三淵嘉子は新潟家庭裁判所に転勤した?

三淵嘉子さんの最初の転勤先は名古屋家庭裁判所なので、新潟家庭裁判所ではありません。

ここは史実と違うところですね。

三淵嘉子さんは1949年、女性初の判事補になられた、石渡満子さんより数日遅れで2番目の女性判事補に就任されました。

判事補とは裁判官の一種で、法律専門家としての経験が10年未満の裁判官のことをいいます。

おふたりは同時期に、女性初の裁判官になられたのです。

就任後三淵嘉子さんは、ドラマと同じようにアメリカ家庭裁判所を視察。このときはおよそ半年間も滞在されたそうです。

帰国後、三淵嘉子さんは東京地裁判事補に任命され、1952年に名古屋地方裁判所に転勤。女性初の判事として就任されました。

判事とは裁判官の総称ともいえる、裁判官の職位のひとつです。

現在は判事補を10年経験し、だいたいそのまま判事になるそうです。

このように三淵嘉子さんは東京勤務から、名古屋に転勤となりました。

三淵嘉子は転勤に娘を連れて行った?

三淵嘉子の子どもは娘?

三淵嘉子さんの子どもは息子です!ここもドラマとは違いますね。

三淵嘉子さんは実家で書生をしていた、和田芳夫さんとご結婚され、1943年に長男の芳武さんを出産されました。

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1946年に和田芳夫さんが戦病死されたので、三淵嘉子さんは弟で武藤家の次男、輝彦さんの家族と一緒に暮らし始めます。

芳武さんは輝彦さんの妻、温子さんが面倒をみていたそうです。

ドラマでは戦死した兄の妻、花江が面倒をみていますね。

では転勤先の名古屋へは一緒に行ったのでしょうか?

転勤で子どもを連れて行った?息子の芳武とは?

三淵嘉子さんは名古屋家庭裁判への転勤に、息子の芳武さんを一緒に連れて行きました!

裁判所では、優秀な裁判官の一極集中を避けるため、およそ3年ごとに転勤があります。

名古屋への転勤には、息子の芳武さんも連れて行き、名古屋では住み込みのお手伝いさんを雇いました。

恐らくドラマと同じように、忙しい日々を送られていたであろう三淵嘉子さん。

住み込みのお手伝いさんがいれば安心ですね。ですが芳武さんにしてみれば、身内や知り合いもいない名古屋で、寂しい思いはされたことでしょう。

芳武さんはゆかり文化幼稚園、さらに玉川学園へと進学し、すくすくと育ちました。

三淵嘉子さんも芳武さんを可愛がっていました。

・三淵嘉子さんは同僚に、芳武さんが踏切を渡って通学するのが嫌だ、と語っていた。

・偶然会った三淵嘉子さんの同級生に、芳武さんに水泳を習わせたい、と話していた。

そんな日常の様子があり、家では普通のお母さんだったことがうかがえます。

三淵嘉子さんは1956年、裁判官の三淵乾太郎さんと再婚されます。

三淵乾太郎さんには4人の子どもがいました。長女はすでに嫁いでいましたが、その下に2人の姉妹、そして末っ子の長男。

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芳武さんはこのとき中学生。多感なころで、急にきょうだいが増え、恐らく戸惑ったのではないでしょうか。

ですが芳武さんは再婚に反対することもなく、反抗的にもならず、その環境を受け入れたそうです。

長女とよくケンカしていたという三淵嘉子さん。電話でケンカしているところを、芳武さんが止めに入ったこともあったとか(笑)

とても優しい子どもだったという芳武さん。三淵乾太郎さんには、実の父親のように接したそうですが、生涯「和田」の姓を変えることはなかったそうです。

ということで、三淵嘉子さんは最初の転勤先、名古屋へ息子の芳武さんを一緒に連れて行きました!

三淵嘉子は新潟家庭裁判所などいろいろな場所に転勤していた

三淵嘉子さんが転勤された裁判所を、時系列でまとめました。

◆1952年12月 名古屋地方裁判所(女性初の判事)

◆1956年5月 東京地方裁判所(判事)

◆1962年6月 東京家庭裁判所(判事兼東京地裁判事)

◆1972年 新潟家庭裁判所(女性初の裁判所長)

◆1973年 浦和地方裁判所(裁判所長)

◆1978年 横浜地方裁判所(裁判所長)

◆1979年 退官

1952年12月に名古屋地裁に転勤され、このとき芳武さんも一緒に名古屋に行きました。

名古屋でおよそ3年半勤務され、また東京に戻ります。

1956年5月に東京地裁に判事として就任。そしてこの年の8月に三淵乾太郎さんと再婚されます。

乾太郎さんの父親は最高裁の初代長官、三淵忠彦さんです。

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忠彦さんの民放本の改訂作業を手伝うようになった嘉子さん。

ところが嘉子さんがアメリカ滞在中に忠彦さんが亡くなり、弔問に行ったときに乾太郎さんと知り合ったようです。

朝ドラ「虎に翼」では最高裁初代長官は、平田満さんが演じた星朋彦。その息子である、星航一を岡田将生さんが演じていましたね。

つかみどころのない人物でしたが(;^^)、もしかして寅子の再婚相手となる?(≧∇≦)

東京地裁判事として、広島と長崎の被爆者が、原爆の責任を訴えた「原爆裁判」を担当。

このとき日本で初めて「原爆投下は国際法違反」と明言されました。

1962年からは少年部で、およそ5000人を超える少年少女の審判を担当。

誰とも口を利かない少年が、三淵嘉子さんには返事をする、といったこともあったそうです。これもドラマで描かれましたね。

少年少女たちの更生のため尽力された三淵嘉子さん。家裁の母と呼ばれるようになります。

名古屋から帰京して、ずっと東京勤務だった三淵嘉子さん。1972年、新潟家庭裁判所で初の女性裁判官に!

ここで新潟が登場しました。朝ドラ「虎に翼」で、寅子が初めて転勤する場所です。

芳武さんは1943年生まれなので、このとき29歳のころ。

芳武さんは寄生虫研究者となっていて、1974年から東京女子医科大学寄生虫学教室で、研究をされていたそうです。

ご結婚されていたかはわかりませんが、おそらく独立されていたのではないでしょうか。

新潟は初めてだったという三淵嘉子さん。小さいときから水泳が好きで、新潟は官舎から海水浴場が近いので、大いに泳ぎたい、と語っておられたそうです。

再婚相手の三淵乾太郎さんも裁判官で、どちらも転勤が多いため、あまりふたりで過ごす時間がなかったそうですが、とても仲のいいご夫婦。

三淵嘉子さんは1984年、骨肉腫のため69歳でお亡くなりになり、乾太郎さんは後を追うように、1985年に78歳でお亡くなりになりました。

三淵嘉子さんの息子、和田芳武さんは寄生虫の研究を続け、2020年にお亡くなりになったそうです。

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まとめ

NHK連続テレビ小説「虎に翼」では、ヒロインの寅子に新潟裁判所への転勤が、言い渡されました。

仕事に追われ、娘の優未ともちゃんと向き合っていなかったと知り、寅子はショックを受けます。

花江や弟の直明からは、優未を置いてひとりで新潟に行くよう、言われてしまいました。

そこで寅子のモデル、三淵嘉子さんの史実では、三淵嘉子さんの子どもは娘ではなく息子の芳武さんです。

初めての転勤は新潟家庭裁判所ではなく、名古屋家庭裁判でした。

このとき嘉子さんは芳武さんを連れて、一緒に名古屋に行っていき、名古屋で住み込みのお手伝いさんを雇ったそうです。

さて、ドラマではどう描かれるのでしょうか!どうぞ楽しみにしていてください!

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