【欽ちゃんのスミちゃん萩本欽一を愛した女性】ネタバレ!原作とキャストや実話モデルも

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2024年に放送の24時間テレビ 「愛は地球を救う」では欽ちゃんこと萩本欽一さんと妻・澄子さんのドラマ『欽ちゃんのスミちゃん 〜萩本欽一を愛した女性〜』が放送されますが原作ネタバレやキャストとは?『欽ちゃんのスミちゃん 〜萩本欽一を愛した女性〜』の原作あらすじネタバレやキャストと実話モデル、脚本家などご紹介です。

目次

【欽ちゃんのスミちゃん萩本欽一を愛した女性】原作ネタバレは?実話なの?

原作ネタバレは?

「視聴率100%男」と呼ばれた昭和の大スター、欽ちゃんこと萩本欽一さん。

今回、2024年度の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」47』では、 やす子さんのマラソンが大きな話題になっていますが、恒例のドラマでは、欽ちゃんと妻・澄子さんとの馴れ初めを中心とした半生がドラマ化されます。

そんな「欽ちゃんのスミちゃん萩本欽一を愛した女性」はオリジナル作品で原作はありません。

しかし欽ちゃんのエッセイ「ありがとうだよスミちゃん 欽ちゃんの愛妻物語」のエピソードも盛り込まれているのでは?と思います。

 

「視聴率100%男」と謳われ、日本のエンターテインメント史上に燦然と輝く功績を残す萩本欽一。
そんな彼が結婚した女性・澄子は、欽ちゃんが新米芸人として第一歩を踏み出した劇場で、当時大人気の踊り子だった。高嶺の花のはずだったスミちゃんは、なぜかダメダメだった新米の欽一を、いつも応援し助けてくれた。やがて時が経ち、欽一が次々とチャンスを掴み大スターの階段をかけのぼった頃、あることがきっかけで彼女は書きおき一つを残し忽然と姿を消してしまう。そのとき欽ちゃんが芸能生命を賭してとった驚きの行動とは!?
世間をあっと言わせるドラマチックななれそめで結婚し、3人の子宝にも恵まれた二人だったが、作り上げた家族の形もちょっと不思議なものだった。その在り方に欽ちゃんは「夫としては…最悪でしょ」「誕生日も結婚記念日も旅行行ったこともゼロだし…」と思い続けてきたが…。年を重ねて、そしてスミちゃんが亡くなってから初めて、彼女が長年いだいていた想いに向き合っていく欽ちゃんだった――。
半世紀に渡る、不器用だけど心に迫る愛の物語を、日本テレビに眠る貴重な欽ちゃんの映像も織り交ぜてお届けします。

引用元 日本テレビ

実話なの?

浅草の劇場からスタートし、国民的大スターとなった欽ちゃんと、影でずっと欽ちゃんを支えてきた、妻のスミちゃん。

これまで欽ちゃんの私生活は、あまり語られてきませんでした。

今回24時間テレビで、萩本家の知られざる夫婦の秘話や、秘蔵映像が放送されます!

と言うことで、実話のエピソードがドラマとして放送されるんですね。

過去の伝説番組のアーカイブ映像や、初出しの密着映像なども織り込まれた『欽ちゃんのスミちゃん 〜萩本欽一を愛した女性〜』です。

脚本家

「欽ちゃんのスミちゃん萩本欽一を愛した女性」脚本家は政池洋佑(まさいけ ようすけ)さん。

政池洋佑さんは1983年生まれで法政大学社会部卒業後、USENに就職しますが、のちに脱サラして脚本家・構成作家になりました。

2012年に「第3回TBS連ドラ・シナリオ大賞」で「ボーイフレンドは女々男」が入選。

2017年ころからテレビドラマの脚本を手掛けてきました。

2020年の『スナイパー時村正義の働き方改革』は「文化庁芸術祭賞」など数々の賞を受賞。

映画『ハケンアニメ!』では日本アカデミー賞優秀脚本賞などを受賞しています。

おもなドラマ脚本はこちらです。

死役所
晩酌の流儀シリーズ
ゲキカラドウシリーズ
春は短し恋せよ男子。
ハコビヤ
ミス・ターゲット

現在「晩酌の流儀3」が放送中です♪

萩本欽一(はぎもと きんいち)とは

萩本欽一さんは1941年生まれで現在83歳。

25歳のころの1966年、坂上二郎さんと「コント55号」を結成し、大人気となりました。

1970年代以降は司会者としてソロ活動を開始。80年以降には多くの冠番組があり、どれも高視聴率をマークし「視聴率100%男」と呼ばれるように。

こんな冠番組があります。

「欽ちゃんのドンとやってみよう!」
「欽ドン!良い子悪い子普通の子」
「欽ちゃんの週刊欽曜日」
「欽ちゃんのシネマジャック」

番組からはこんな大ヒット曲も♪

欽ちゃんは、昭和のバラエティ番組黄金期を代表する大スターでした。

なんと24時間テレビ、1978年の第1回目の放送の司会者も萩本欽一さん!第6回目に萩本欽一さんが全国のメイン会場を回る「ふれ愛の旅」がスタートします。

ところが1985年、充電と称してレギュラー番組を全て降板し、休養宣言をした欽ちゃん。

ただし『欽ちゃんの仮装大賞』と『24時間テレビ』だけは出演しました。欽ちゃんでなくてはならない番組だったのです。

テレビ番組からは離れ、舞台公演や「欽ちゃん劇団」のプロデュースなどをするようになりました。

1996年NHK朝ドラ「ひまわり」のナレーターを担当。松嶋菜々子さんの出世作ですね♪

1998年には長野冬季オリンピック閉会式の総合司会を!このころも誰もが知る大スターでした。

2005年に野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を結成し、初代監督に就任。2010年まで続投されています。

2007年にはなんと『24時間テレビ30「愛は地球を救う」』のチャリティーマラソンランナーとして登場!

当時の年齢が66歳ということで、ちょっと短い70キロになりましたが、残り900メートルで番組終了。

次の番組『行列のできる法律相談所』にてゴールしました。

2021年に自身のチャンネル「欽ちゃん80歳の挑戦!」を開設し、80歳でYouTuberになられました。

このように欽ちゃんは現在も元気に活動されています!

【欽ちゃんのスミちゃん萩本欽一を愛した女性】あらすじは?

そんなドラマ「欽ちゃんのスミちゃん萩本欽一を愛した女性」のあらすじです。

1960年3月。浅草『東洋劇場』の新人・萩本欽一(伊藤淳史)は、当時劇場で大人気の踊り子だった・澄子(波瑠)に思わず見とれてしまう。まだ駆け出しの欽一にとって、舞台上で喝采を浴びる澄子は雲の上の人。しかし、2人は互いにひかれ合い、いつしか恋人関係に。「欽ちゃんは必ずスターになる」。そう信じて疑わない澄子に支えられ、欽一はスターへの階段を駆け上がる。あることがきっかけで彼女は書きおき一つを残し忽然と姿を消してしまう――。

引用元:公式サイト

1960年浅草の東洋劇場。新人の欽ちゃんはステージの上を掃除中。

後に妻となる澄子ことスミちゃんは人気の踊り子で、欽ちゃんは密かに陰からファンとして見つめていました。

新人なので話すことも目を合わせることもできない。このときのすみちゃんは雲の上の存在。

部屋に帰るとスミちゃんのポスターを見ながら欽ちゃんは眠っていました。

ある日、欽ちゃんは舞台で村人役として一言セリフのある役をもらいました。

「あの、お団子ください」

しかしその一言のセリフが、舞台上で出てこずに大失敗してしまうのです。

支配人からは、コメディアンに向かないから、辞めるなら早い方がいいと言われてしまいます。

落ち込む欽ちゃんが掃除をしていると、隣の部屋から音楽が聞こえてきました。

そこには踊りの練習をしているスミちゃんの姿が!

それを見て、落ち込んでいる自分が恥ずかしくなり、先輩らにアドバイスを求めるなどコメディアンとして励むことにした欽ちゃん。

公園でセリフの練習をしていると近くに鳩が。

鳩のモノマネをしていると・・・そこに現れたのは浅草一の人気芸人東八郎でした。

「お前、コメディアンだろ?次どうするんだ?」

その後も、ステージ上で一人セリフの練習をする欽ちゃん。

鳩のモノマネをしていると、会場から笑い声が聞こえます。

誰かは分からなかったが、欽ちゃんにとって、舞台上で人を笑わせたのはこれが初めての事。

後日、東八郎の後押しもあり、欽ちゃんは代役で再び舞台に立つことに!

拍手喝采とはならず、凄いへたくそな演技でしたが、終了後観客からはまばらな拍手が。

舞台を終えた後謝罪する欽ちゃんに東八郎は言います。

「最初から期待してない。謝るんじゃなくて笑わせるのが仕事だ」

その後も寝る間を惜しんで、面白いことを考えて練習を続ける欽ちゃん。

その成果が実り、劇場の看板俳優の一人に加わることになったのです。

舞台に出て三年ほどたったころ、東八郎から地方回りを旅するように言われます。

その旅立ちの前日、仲間たちが送別会を開いてくれました。

そこにサプライズでやってきたのはなんとスミちゃんだったのです!

驚く欽ちゃんですが、スミちゃんはたまたま暇だったからだと言う。

お酒が飲めない欽ちゃんに、スミちゃんはこの店で美味しいイカを出してあげてと大将に頼むなど世話を焼いてくれます。

そして送別会が終わり帰り道。

スミちゃんは欽ちゃんに声をかけて、くびにかけていたネックレスを渡します。

「お金に困ったら質に入れていいよ」

もらえないと言う欽ちゃんですが、スミちゃんは持っていて、あっちでも笑わせてねと背中を押してくれたのでした。

「欽ちゃん、いってらっしゃい」

スミちゃんのその言葉に「いってきます」と返す欽ちゃん。

それから地方回りで苦労をするも、そのときにはスミちゃんのネックレスをみて頑張ることが出来ました。

半年後、浅草に戻ってくるもスミちゃんと話すことは出来ません。

芸人が踊り子と話をするのはご法度だったからです。

その頃、劇場で調子に乗っていたのは坂上二郎でした。

欽ちゃんはそんな二郎が苦手。二郎はスミちゃんに飲みに行こうと声をかけたりするので嫉妬の気持ちも入り混じる欽ちゃん。

そんなある日、一人で部屋にいると・・・

なんとスミちゃんがやってきたのです。

二郎主催の飲み会に参加した帰りで、スミちゃんはそのまま欽ちゃんの部屋で眠ってしまいました。

欽ちゃんが目を覚ますと、スミちゃんはお味噌汁を作ってくれています。

スミちゃんが私の踊りどう思う?と尋ねると素直に素敵な踊りだとスミちゃんへの気持ちを伝える欽ちゃん。

その後、欽ちゃんは劇場での坂上二郎のアドリブが苦手だと感じていました。

そんなある夜、自宅でセリフの練習をしているとテレビが届きます。

それはスミちゃんが出世払いだと送ってくれたものでした。

それからも炊飯器や、ほおづきの鉢植えなどが度々届き、スミちゃんは「欽ちゃんは絶対にスターになる」と太鼓判を押してくれました。

神様に通じたのか、欽ちゃんに転機が訪れます。

なんと二郎からコンビを組もうとの誘いが。

一度だけと言う約束で舞台に上がるとその評判は上々!

ある夜、スミちゃんがお味噌汁を作ってくれていると、欽ちゃんは結婚しているみたいだねと言う。

しかしスミちゃんは、欽ちゃんを応援しているだけ。もっと素敵なお嫁さんが来てくれると言うのです。

「僕のことどう思っているの?」と問うと「弟、弟に似ているから」だと答えるスミちゃん。

「僕はスミちゃんのこと・・・」欽ちゃんがそう言いかけるも、電話で呼び出しがかかってしまいそれ以上は伝えられず。

その後、欽ちゃんと二郎さんのコンビ「コント55号」はテレビでレギュラー番組を持ち忙しい状態が続きます。

三か月後、欽ちゃんはスミちゃんに会いに行くも、理由も言わずにスミちゃんは姿を消していたのです。

スミちゃんの行方を捜すもなかなか見つかりません。

そんな中、仕事に没頭する欽ちゃん。

もっとテレビに出てればまた会いに来てくれるのではと信じて。

そして1971年には、日本テレビのスター誕生の司会に抜擢されました。

忙しくても心の中にはスミちゃんの存在が。

もらったネックレスをみてスミちゃんを思い出す欽ちゃん。

そんなある日、ほおづき市で偶然スミちゃんを見かけたのです。

どうしていなくなったのかと尋ねると、もう住む世界が違うからだと言うスミちゃん。

「欽ちゃんはスター。私は一般人」

「違わないから。もし住む世界が違うなら、僕がスミちゃんの世界に行く」

そしてかつて言えなかった続きを欽ちゃんは伝えました。

「僕は、スミちゃんのことが好きです」

こうして思いを伝えた欽ちゃん。それ以降スミちゃんの部屋を訪れることが多くなりました。

お味噌汁を作ってくれてもらい幸せな日々を過ごす二人。

仕事では二郎のマネージャーだった佐藤が欽ちゃんのマネージャーになってくれることに!

佐藤マネージャーの営業の甲斐もあり、さらに忙しくなっていく欽ちゃん。

程なくスミちゃんの妊娠が明らかになり、喜ぶ欽ちゃんですが・・・

スミちゃんの家から出て行く姿が週刊誌に撮られてしまうことに。

佐藤マネージャーに責められて謝る欽ちゃん。

その頃、スミちゃんも週刊誌を見ていました。

そして翌日、欽ちゃんがスミちゃんのアパートを訪れると部屋はもぬけの殻で置手紙が置いてありました。

「欽ちゃんへ 子供は私が責任をもって育てます。元気でね」

スミちゃんは欽ちゃんの前から再び姿を消してしまったのです。

その後もスミちゃんのことが頭から離れない欽ちゃんはある決意をしました。

それは会見を開いて、結婚を報告すること。

それを聞かされて驚く佐藤マネージャー。

さらに子供がいることも聞かされて、大変なことになるぞと言いますが、会見の段取りを進めてくれました。

そしていざ、会見当日。

欽ちゃんは集まった記者たちに語ります。

結婚してること。子供がいること。

相手は以前週刊誌に出た女性のスミちゃんだとも。

その会見の様子をテレビでスミちゃんも見ていました。

「バカ・・・」と言いながらも涙を流して嬉しそうなスミちゃん。

欽ちゃんは黙っていたことを謝罪をしますが、記者たちからは「何で謝るの?」と言われ逆に結婚を祝福されました。

引退覚悟で開いた会見だったものの、予想に反して多くのメディアが好意的に受け入れてくれることに。

その後、スミちゃんと会った欽ちゃん。

改めて結婚したいと伝え、芸能界を辞めても良いとまで言います。

「僕はスミちゃんのおかげでコメディアンを続けられた。これからもずっと一緒にいたい」

欽ちゃんのそんな覚悟を受け入れて、二人は晴れて夫婦になったのでした。

その後も欽ちゃんの名前が付いた番組が数多く放送されることに。

そして1978年には「24時間テレビ」の司会に抜擢され、放送には大きな反響が有りました。

しかし、週刊誌では偽善と書かれてしまい悩むことも。

三回目の放送が開始されるときには、3人目の子供が生まれていましたが、未熟児で欽ちゃんは度々病院に向かい息子の様子を見守っていました。

そんなこともあり、24時間テレビは自分にしかできないことだと思い、その後も出演を続けたのです。

三男も無事成長したころ、欽ちゃん家族は神奈川の方に住むことになり、多忙な欽ちゃんはなかなか家に帰れない状況が続きます。

そして日本テレビの長寿番組、欽ちゃんの仮装大賞もスタート。

家族とたまにお出かけしても、人気者の欽ちゃんは一般人に囲まれてしまい、家族に寂しい思いをさせることもしばしば。

しかしスミちゃんはそんな欽ちゃんを理解して支えてくれていたのです。

その頃には、家に帰ってくるのは一年に三回ほど。

たまに帰ろうとしても、スミちゃんは忙しいならわざわざ帰ってこなくても言います。

それでも帰ってくると欽ちゃんにお味噌汁を作ってくれたのでした。

こうして家の事はスミちゃんに任せて仕事に専念していった欽ちゃん。

60歳を超えてからもやりたいことをやり、欽ちゃんは野球チームの監督に就任。

2007年には24時間テレビのマラソンランナーを務め、2015年には駒澤大学に入学してやりたいことをやる人生を送ってきました。

2016年、スミちゃんに肺がんが見つかり、このときすでにステージ4。

余命宣告されても、頑張って治療するとにっこり笑って答えたスミちゃん。

欽ちゃんも度々入院したスミちゃんの様子を見に来ていました。

抗がん剤や放射線の治療で体が少しずつ弱くなっていきます。

ありがとうというスミちゃんの言葉を喜んで受け入れる欽ちゃん。

そしてかつてもらったネックレスを見せて、お守りだったと欽ちゃんは言います。

これからはスミちゃんのお守りにして欲しいと手渡すのでした。

一つお願いが有ると言うスミちゃん。お葬式は派手じゃなく普通にして欲しいと言う。

それから治療を頑張り三年の闘病生活が続きました。

2020年に子供たち三人で記念写真を撮り、欽ちゃんとスミちゃんは赤い糸ならぬ赤い紐を結んで写真を撮りました。

毎日欽ちゃんはスミちゃんに会いに行くものの、いつもの「ありがとう」の言葉も言えない状況に。

そしてスミちゃんは欽ちゃんにある言葉を言って、亡くなったのでした。

欽ちゃんは最期の言葉の意味が、正直理解出来ずにいました。

しかし、亡くなった後病室を片付けているときに、スミちゃんの妹からあることを聞かされます。

それは欽ちゃんが来ると聞くといつもしっかりと化粧をしていた事。

「キレイな自分でいたい。ずっと欽ちゃんのファンだったから。最初のファン。だから欽ちゃんにはずっと外で活躍してほしいの」

スミちゃんの最期の言葉。

「欽ちゃん、行ってらっしゃい」

それはいつも仕事に行く前にかけてくれていた何気ない何度も聞いた言葉でした。

そして2024年、欽ちゃんは今でもスミちゃんの思いを胸に舞台に立ち続けているのです。

【欽ちゃんのスミちゃん萩本欽一を愛した女性】キャスト出演者と実在モデル

欽ちゃん役(伊藤淳史)モデル:萩本欽一

モデルは萩本欽一。

コメント

萩本欽一さんご本人を演じるという大役をいただき、心身ともに引き締まる思いです。
今回の台本は、萩本さんご自身の書籍や、ご家族とのやり取りをもとに作られています。
萩本さんと奥様の澄子さんとの深い繋がりが、とても胸に響く素晴らしいお話でした。
プロデューサーや監督に身を預け、精一杯演じたいと思います。
当時の実際の映像も盛り込まれたドラマになっていて、出来上がりを見ることを、僕も今から楽しみにしています。
心を込めて演じて参りますので、是非ご覧いただければ嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

スミちゃん役(波瑠)

モデルは欽ちゃんの妻、スミちゃんこと澄子さん。

コメント

世間から見たらそれって夫婦なの?と思われてしまう様なちょっと不思議なところがあるのかもしれません。それでも大切に思い合っている2人の姿を表現できればと思います。澄子さんがどんなふうに考えていたか、萩本さんもあまりご存知ないと伺っていますので、私なりに澄子さんの気持ちをたくさん想像して、汲み取れるようにがんばります。人生をドラマに凝縮すると描き切れない瞬間がたくさんあると思うのですが、心の中では萩本さんを想う澄子さんでいっぱいにして日々を過ごしたいと思います。

東八郎(東貴博)

モデルは昭和を代表するコメディアン、東八郎さん。演じる東貴博さんのお父様です。

東八郎さんは欽ちゃんにさまざまな芸を教えた人物。

1988年にお亡くなりになりましたが、そのとき萩本欽一さんは東貴博さんにこう伝えたそうです。

僕の芸はみんな東さんから教わったんだよ。今度は僕が君に教える番だ

欽ちゃんは愛情あふれる人物でした。

コメント

欽ちゃんが師匠と慕う、八郎。 欽ちゃんを「欽坊」と呼び、弟のように可愛がった八郎。「僕の芸はみんな東さんから教わったんだよ。今度は僕が君に教える番だ」。八郎が亡くなった日、欽ちゃんが私に言ってくれた言葉です。あの夏から36年、我が父・東八郎を演じ、そして、師匠である欽ちゃんを「欽坊」と呼ぶことになるとは、、、。なんか、、、気持ちいい。

?(芹澤興人)

モデルは当時の気鋭の演出家という人物。どなたかはわかりませんでした。

坂上二郎(アタック西本(ジェラードン))

※画像右

モデルは「コント55号」で欽ちゃんの相方だった坂上二郎さんです。かなり似てると思います!

役者や歌手としてもご活躍されました。2011年3月に脳梗塞でお亡くなりになっています。

コメント

似てますかね?二郎さんに。似てるといいんですけど…。
ドラマの経験も少ない上にいきなりあの伊藤淳史さんや波瑠さんが目の前に来て、心が追い付かないまま撮影という感じで、一生懸命顔に出ないようにしましたけど、ずっと緊張してました!!
ドラマの二郎さん、よく見ると緊張で口元がぷるぷるしてるかもしれませんがぜひ見てください!

後輩芸人(高橋努)

モデルはわかりませんでしたが、ドラマが放映されたらわかるかもしれません。

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とある伝説の芸能リポーター(渡辺隆(錦鯉))

※画像左

伝説のリポーターというと梨元勝さんを思い出しますが、やはり梨元勝さんのようです。

東貴博さんのブログで「梨元勝」と紹介されていました。

コメント

初めてこんなにがっつりドラマに出させていただきました。
伝説の芸能リポーターの役を演じましたが、メイクさんの丁寧な仕事や、周りのエキストラさんの熱演のおかげで、僕は本当に伝説の芸能レポーターさんにでもなったんじゃないか?と錯覚するほど、役に入り込むことができました。ぜひご覧ください。

マネジャー役(香取慎吾)

萩本欽一さんのマネージャーで、お名前はわかりませんでした。

コメント

Q.本作は、欽ちゃんがこれまであまり語ってこなかった妻・スミちゃんとのストーリーです。脚本を読んでどう感じ、どのように役作りをされましたか?

僕は結構欽ちゃんのことを知っている人間だと思っているんですが、このドラマでは、その僕でも知らないことが描かれていてびっくりしました。
僕でも見たことのない欽ちゃんが描かれているんだから、これは映像になった時に、さらに僕も皆さんもびっくりすると思います。
こんなことを経験されて、欽ちゃんは今に至るんだなと、いろんなことを知ることができるドラマになっていると思います。

Q.今回演じるのは欽ちゃんの若き日から伴走するマネジャーさんの役。役作りはされましたか?

欽ちゃんの近くに何十年も僕もいさせてもらっているので、欽ちゃんのマネジャーさんもよく知っていまして。
いつも欽ちゃんの近くにいる本当のマネジャーさんの心が、僕の役にも宿っていると思います。

Q.欽ちゃんを演じる伊藤淳史さんとは18年ぶりの本格共演です。久々に一緒にお芝居をされて、どう感じましたか?

すごく嬉しかったです。
僕の大好きな欽ちゃんを大好きな俳優さんの伊藤君が…伊藤君って言ったことないんですけどね。
今回久々に会っても、伊藤君が「悟空さん!」って。僕も「ああ!八戒!」って。『西遊記』っていうドラマで一緒だったので。途中合間に話したら彼が、「いや〜何度か香取さんって言おうとしたけど、無理ですね。やっぱり『悟空さん』は抜けない」って。懐かしい話もできてすごく楽しかったです。
これからはもしかしたら「欽ちゃん」って呼べるかもしれないですね。

Q.伊藤淳史さんの演じる欽ちゃんは、香取さんからご覧になって似ていましたか?

あのね、欽ちゃんでしたよ。
欽ちゃんの話し方は、全部が特徴的なのではなくて、急にポコッと特徴的な口調が入ってくるんです。それが本当にそういう感じで。リハーサルしていても「ん?欽ちゃん…?」となりました。
しかも欽ちゃんのパターンをいくつも持っていて、監督との話し合いを受けてまた違うパターンの、僕の知っている欽ちゃんを出してくるの。すごいですよ!

Q.欽ちゃんは、香取さんにとってどんな存在ですか?

もう本当にいろんなことを教えてもらいましたね。大きくは、僕が10代の頃、欽ちゃんが「考えるな」と。無言の欽ちゃんと二人きりの狭い部屋で、僕としては本当に体感2時間くらい、お説教されるのかな?何かを教えてもらうのかな?なんだろう…と思っていたら、欽ちゃんが最後に「慎吾ちゃん何も考えなくていい。思ったこと言って」と言ってくれた。
そこから僕はバラエティー番組などで、頭に浮かんだことを声にするスタイルを作ることができました。他にもたくさん技を学ばせてもらいましたが、単純にバラエティーとしての技というだけではなくて、「そこにはちゃんと心が必要で、愛を持っていないと」と教わりました。
欽ちゃんの存在は、香取慎吾というものを形成してくれた、大きなひとつだったと思っています。
欽ちゃんはすごい存在で、大好きです。

Q.久しぶりの「24時間テレビ」ご出演となりますね。

久々に参加できて嬉しいです!しかも欽ちゃんのドラマの中で、ご一緒したことのある伊藤淳史君との共演、すごく嬉しいですね。参加できてない時もテレビの前で見るという形で応援させてもらっていましたが、今回は参加できて本当にうれしいので、たくさんの人に見てもらいたいと思います。

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1979年に『欽ちゃんの紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!第1回全日本仮装大賞〜なんかやら仮そう!〜』でスタートした全日本仮装大賞。

1994年から当時17歳だった香取慎吾さんが、レギュラー司会者として加わり、現在は『欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞』となっています。

香取慎吾さんは欽ちゃんから多くのことを学んだと言い、30年の間親子のような、師弟のような関係を築いてきました。

欽ちゃんのことを「すごく大きな存在で大好き」と語る香取慎吾さん。

2023年の収録前、当時すでにお亡くなりになっていた、スミちゃんの肖像画を欽ちゃんにサプライズプレゼントしました。

そんな仲良しのおふたり。今回香取慎吾さんは、欽ちゃんのマネージャー役を演じます!

ほかにはチャンス大城さん、リリー(見取り図)さん、金澤美穂さん、小木茂光さんらがご出演されます。

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キャスト・コメント引用元 日本テレビ

まとめ

コメディアンや司会者として、放送される番組がすべてヒットした昭和の「視聴率100%男」と呼ばれた萩本欽一さん。

これまで私生活はあまり多く語られてきませんでしたが、今回その半生を、奥様のスミちゃんとの馴れ初めを中心に描かれます!

欽ちゃんを演じるのは伊藤淳史さん。スミちゃん役は波瑠さん。そして欽ちゃんのマネージャー役を香取慎吾さんが演じます。

ほかには坂上二郎さん役でアタック西本さん、東八郎さん役で、実子の東貴博さん。梨元勝さん役を錦鯉の渡辺隆さんが演じます。

このドラマ『欽ちゃんのスミちゃん 〜萩本欽一を愛した女性〜』に原作はなく、「晩酌の流儀」などの脚本家、政池洋佑さんによるオリジナル。

放送は2024年8月31日(土)、日本テレビ系『24時間テレビ 「愛は地球を救う」47』内でスペシャルドラマとして放送されます。

よる9時過ぎの放送とのことなので、どうぞお見逃しなく!

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